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2009.04.15 及び 2009.04.28 の二回にわたり「開三門毛孔竅穴」の功力アップをして参りました。それらについて、お話しさせていただきたいと思います。
日之本元極功法では、全ての功法を始める前に「開三門毛孔竅穴」の訣を唱えます。これにより「三元エネルギー」を取り入れる力、「邪気」を排出する力を圧倒的に強めることが出来ます。
中華元極功法=元極学では、講座の中で「三門を開くこと」などは注意事項として、時には話されることはありましたが、教科書にも厳密には記載されていませんでした。また「毛孔竅穴を開くこと」も「三門を開くこと」と別個に考えられていて、あまり積極的に「しなければならない」と、注意されることもありませんでした。そうした中で経験的に効果の違うことを認識し、日之本元極では、どの功法を始める前にでも必ず「開三門、毛孔竅穴」をすることにしたのです。
現在しているのは、次の5項目です。
(1)百会を開けて、天と繋がる。(繋がったと思う)
※ 過去形で意念した方が効果が高くなります。
(2)湧泉を開けて、地と繋がる。(繋がったと思う)
(3)内労宮、外労宮を開けて、天・地・人を繋げる。(繋がったと思う)
(4)中丹田、命門を開く。
(5)全身の毛孔竅穴を開けて体内の邪気、濁気、末性(通常では肉眼で観ることのできない体内の悪いモノ)を吐き出し、天地の先天三元を吸い込む。(吸い込むと思う)
その「開三門毛孔竅穴」をし始めたときは、「外労宮」も開けませんでしたし、「中丹田」、「命門」も開けてはいませんでした。
修練を多くの方々と続けるうちに、更に効率を上げる為にと何年かの間に付け加えられたものです。
この「開三門毛孔竅穴」を実現するのは、本人の「意念の力」による為、毎日地道にこの念訣を続け、その「意念の力」を強化していくようにしていました。
あらゆる功法の力を実現強化するのは、「意念」=「念力」(中国ではこう言います)の力な訳ですから、修練を続けるうちは、この力増大の為の努力が必要になります。
毎日次々と、功法をやる度ごとに、この「開三門毛孔竅穴」をすること、つまり意念の練習をすることは、非常に大きな意義のあることなのです。
多くの修練者は、「開三門毛孔竅穴」の訣を唱えることは、単に「三元エネルギー」を取り入れる力、「邪気」を排出する力を強める為にやっていると考えています。実際には、それだけではなく、この「開三門毛孔竅穴」の念訣を毎日地道に続け、その「意念の力」を強化していくようにすることは、自らの長期的な元極功法修錬全体を俯瞰して見たときにも、大きな効果を生んでいるのです。
有る程度経験を積んでいけば、この念訣で各所が開くようになるものですが、中には意念で三門や毛孔竅穴を開こうとするだけでは、開くことが不十分な人々がいます。初心者であったり、病気によって開口する部位が損傷していたり、気の流れが悪かったり、開ける意識が十分に持てなかったり・・・・etc.
また、長い修錬期間の結果を待つわけにはいかない重病の方々もいらっしゃいます。
そういう人達にも、もっと充分に日之本元極功法の強力な功力を存分に引き出すことが出来るようにする為、この「開三門毛孔竅穴」の訣に「言霊の力」を作用させたのです。その人その人の「三門」、「毛孔竅穴」が一回の念訣により最大限に開くように、今年(2009年)4月15日に、その功力を発動したのです。
「開三門毛孔竅穴」の訣を唱えると、その訣が日之本元極の言霊の力に連動して、その人の力に関係なく、三門と毛孔竅穴が最大限に開くようになりました。
これと同時に、続けて三回許された「言霊講座」の開催が、代々の掌門人によって禁じられました。大きな力を渡されるチャンスを、逃さず受け取った者のみに渡ったということです。
今後も重要な講座を少しでも早く、チャンスのある内に多くの皆さんに受け取っていただきたいと願っています。
功力の追付加により、「開三門毛孔竅穴」の訣を唱えれば、その人の力に関係なく、三門と毛孔竅穴が最大限に開くようになったわけですが、その開きっぱなしの三門と毛孔竅穴のままで、全くの初心者や重病人が修錬をして何も問題がないのでしょうか?
確かに身体に取り入れるエネルギーというものは、量のみでなく質の問題があったり、量とても、ただ多ければ多い程、良いということでもありません。ウェート・トレーニングが身体に良いからといって、初心者に突然100キロのバーベルを持たせたら身体を壊してしまうのと同じで、三元エネルギーも、その人その人で耐えられる量があるのです。修錬を積み重ねて、徐々に段階を上がり、取り入れる量を増やしていくのは、そうした理由からです。
日之本元極の功法は、その時その時の修練者の力量にあった三元エネルギーが入る様、創られています。然るに、今回からの三門毛孔竅穴が最大に開いているときにも、その修練者が最大に耐えられる量の三元が入るのですから、実行される修錬の一つ一つが最大効率の修錬にへと変わることになります。
この効力が発動される前は、本人の最大効力で修錬したとしても、人によって入り口出口が閉まっていたのですから、効果が充分発揮されない状態にあったわけです。
今後も日之本元極の修練者は、安心して最大効力を発揮する修錬にいくらでも邁進できるというものです。
言霊の力による功力アップに追随するように、2009.04.28 の 午の刻(12:00)より、「開三門毛孔竅穴」を唱えるときに中丹田、命門が大きく開くようになりました。
それは、今までのように中丹田と命門を竅穴として開くのではなくて、「エネルギーの交換、情報の交換の入り口・出口として開く」ということで、以後この二つの竅穴は、「開三門毛孔竅穴」をすれば、三門と同じ程度に大きく最大限に開かれることになります。
今まで初級段階でも、五つの段階を経て「開三門毛孔竅穴」を完成させてきました。賢明な皆さんは、
「何だよ、今までだって、中丹田と命門を開くようやってきているじゃないか。」
と、お思いでしょう。
しかし、今までやってきたことと、この度、付加されることでは大きな違いがあるのです。
以前からこれらの竅穴について、「中丹田、命門は生命維持に直結する竅穴である」と、いろいろな講座の中で申し上げてきています。
「階ひと」動功「立ちのひと」教科書の中にも、中丹田と命門について以下のような記述があります。
『全身の竅穴中、中丹田、命門、中黄庭は、特別な働きをしています。その働きとは、命と直結する生命維持の働きです。「階む」で「立ち」や「環排」の収功が
これらの竅穴にされるのは、まず肉体改善や病気の回復を目的にしているからです。』
中丹田、命門は生命維持に直結する竅穴
病弱な方々の為、今回ここを大きく開けた。
そのことによって、「生の竅穴」と言われる「中丹田」、「死の竅穴」と位置づけられる「命門」に、充分な三元エネルギーが供給されて、全ての功法効率が大きく変わる事になります。
何故、中丹田、命門なのでしょうか?
唐突ながら、臨終の方のお臍を触ったことが有りますか?
生命エネルギーの出入り口である中丹田で、大きなエネルギーの出入りが起こるときには、中丹田は「ボコボコッ、ボコボコッ。」と動きます。
勿論亡くなるときには、生命エネルギーの殆どが流出してしまうわけですから、当然のことながら中丹田は大きく動くことになります。そして最後は、全てのエネルギーが「ストン・・・」というような感じで、中丹田より下丹田、会陰を通り、地戸に落ちます。
この臨終の時、功高き者が中丹田・命門に両手を当て、三元の補充をするならば、数分のことなれど、病人の延命を可能とします。
時には、家族が病院に向かっていて、もう数分で着くはずだが、何とか死に目に会わせてあげたいということもあります。そんなときに中丹田・命門より三元を補充してあげるのです。延命する為には膨大なるエネルギーを必要としますから、補充する人がその後どうなるかは保証しません。共倒れになる可能性すら有るでしょう。
お大事になさって下さい。
くわばら、くわばら・・・・。私は知りません。
冗談はさておき、臨終の時、お臍つまり中丹田の位置で、大きくそこが動くのですが、その後、本当に最後の時は、全てのエネルギーが中丹田より下丹田、会陰を通り、地戸に落ちるのです。
死ぬ直前に今まで受け取ってきた無形の気の空間との連接口が、はずれます。
外れる場所が地戸、つまり会陰から外れます。
生まれた瞬間、天陽は百会から入り、臍(さい)で調整されて臍(さい)で預けられます。
つまり死の直前に、空間との縁切りが臍(さい)でなされて、地戸(ちこ)に終着します。出産の時、母親との物質的な縁切りも、臍(さい)でなされるのは、興味深いことです。
なぜ、命門が命門という名前をつけられたかというと、命を補充する大切なところであり、生き方によっては、気を浪費するところだからです。
命を司る大切な竅穴なのです。
命門で気が浪費されるときは、どういうときか?
・命門で、気が浪費される最たる事柄は、寒極まるときの腎からの浪費
・寒極まるときに腎を冷やすこと、暑極まるときに、鬱(うつ)熱すること
・季節、自然の摂理に合わない生活をすること、その時に、腎の気を消耗することになります。
・女性では、出産、月経、などは、体内の排泄を司り、腎からの気をもらすことになります。
・究極の行為は、性的な行為です。
毎日の生活の中で、これらのことに気をつけて過ごすことが寿命を延ばす結果となります。
次に臨終時の生命維持エネルギー、つまり三元エネルギーの移動について、一例を挙げてみましょう。
十年ほど前、私を非常に可愛がってくれた義理の叔父が亡くなりました。大変人情深い叔父でしたが、見えないものを全く信じることが出来ない頭の固いところもありました。晩年は、癌があちらこちらに転移し、手術を繰り返し闘病生活で過ごしていたのです。むろん気功などのものは一切拒み続けたため、元極の力を施すことも出来ず、恩を返すことが出来ませんでした。
亡くなる直前、私は十数人を連れて中国蓮花山に行っていました。帰国までまだ五日ほど残していた日、日本から一通のFAXが届きました。叔母からのもので、叔父が危ないとのこと。しかし、仕事で行っているのだから、それが終わるまで帰らなくてよいと、書いてありました。
そこで私は、どれだけ可能かはわかりませんでしたが、叔父の中丹田、命門に遠隔で三元エネルギーを五日間休みなく送り続けました。帰国し、すぐ病院に駆けつけましたが何とか命はつないでいました。しかし意識が有るのか無いのか、最後まで話すことは叶いませんでした。
それから病院に三日間くらい通い、貫頂などをし続けていたある日、病室で突然叔父の容態が急変したのに気がつきました。咄嗟に中丹田に手を当てると「ボコ、ボコ、ボコッ・・・」と、臍が大きく動いていたのです。そこに居た叔父の次女に「すぐ医者を呼べ」と伝え、売店へ買い物に出ていた長女を呼びに走り出しました。
長女を捜しつつ、叔父の体を観じ(感じ)ながら大きな病院の中を走っていました。中丹田の生命エネルギーが、熱した鉄板の上で踊っているように激しく動いています。
そのエネルギーが突然、「すとっ。」と、下へ落ちて動きが途絶えました。
「ああー、逝ってしまった!」と思い、すぐ病室に戻りましたが、すでに帰らぬ人となっていました。
これは作り事ではなく、私が経験した劇的な「中丹田と命門」の働きの話です。
「中丹田」と「命門」が、三門と同じくらい大きく、最大限に開かれるようになると、そこから大きなエネルギーの出し入れが可能になりますが、更にもうひとつ、中丹田には重要な機能があります。元音エネルギー(=情報)の出し入れです。言わば、中丹田は情報の送受信アンテナと例えても良いでしょう。
あなたがセミナーや講演を聴きに行ったとしましょう。その内容を、しっかりとマスターしたいのであれば、中丹田を全開にして話を聞くことです。顕在意識的にはあまり変わりがないと思われるかもしれませんが、深層意識にはがっちりと演者の意図を受け取れるようになります。
今度は、あなたが反対の立場になったとき、つまり講演者として話すときや会議で発言するときなど、営業でお客様に商品の説明や売り込みをしているときなどに、中丹田を開いてご覧なさい。
こちらの言おうとすることが相手にしっかりと伝わるようになります。こちらの思惑通りに事が運んだり、営業成績が上がったりするかもしれません。
この「中丹田による元音のやり取り」は、まさしく元極功法の永年の秘伝と言えるものです。世界中で「元音」の存在をハッキリと言及し、その扱い方を功法に取り入れているのは「元極功法」だけです。
その秘伝を思いがけず、求めもしないのに手に入れた「あなた」、
心して、そして有功に使わなければ、勿体ないですよ!!
ここまで話を進めてきて、「元音という情報を中丹田から取り入れ可能なら、ここから他人の身体の情報を取り入れて、相手の病状を知ることが出来るじゃないか。」と考える方もみえた事でしょう。
やってみれば分かります。少し練習をすれば、確かに他人の体調が分かります。普通では他人の決して分からないことが自分に分かるわけですから、あたかも自分が偉くなったようで、面白くて、次から次へと会う人会う人の体調を観てしまいがちです。
やっている内に、大変なことに気がつきます。自分の体調が、観ようとする人と同じように変化していることが分かるからです。沢山観れば観る程、体調は不快になってきます。寝込んでしまう人も出るでしょう。
今まで観ることの出来る人に、気軽に頼んで観て貰おうとしていたのに、如何に他人の身体を観ることが大変なことかがやっと理解できます。
「ちょっと観るだけなんだから、軽くやってよ。」ぐらいのノリで頼んでいた自分が、恥ずかしくなることでしょう。そこでの人の肉体状態の情報出し入れは、大きな苦痛を産み出します。
中丹田での、元音の授受は、元気・元光も必ず伴います。よって、体調の善し悪しはそのまま伝搬するのです。ですから中丹田で元音を受け取るときは、その内容を限定し、コントロールする必要があるのです。
これは、診断できる程の力ではなく、感じることが出来る力です。
まだ充分にそれらのことがコントロールできなかったり、自己内部の充実に自信のない方は暫くお預けにしておいたほうが良さそうですね。
このように中丹田で人の体調を感じようとしたときに、自分も同調して不調に陥る人々が有る程度多く居るのですが、それでは連日多くの人々の体調を観じ、三元エネルギーを送り続けている我々はどうしているかを、企業秘密ながらお教えしましょう。
その解決策は、「頭上の金線」の存在が、もたらしてくれます。
上述のように、中丹田から情報を得ることが出来る者は大勢います。
けれども、その力というのは診断できるほどの力ではありません。
診断できる力というのは、「頭上の金線」を通し「皇極宮」で観て、さらに中丹田からの情報で自分の身体等で確かめつつ検証して、確かなモノにしていく必要があります。2つの情報源をうまくコントロールして人の身体を診ることが出来れば、診断に値する力となります。
「中丹田から、他人の身体情報を得るということ」は、こうして初めてその効用を発揮できるのです。
現在これが出来る者は、世界でも数名しか探すことは出来ません。しかし、力が有っても十分に練習していないので出来ない者もいます。まずは、練習して、その成果を知識で整理していく力が求められています。
体験だけの知識だけでも、既製の知識だけでも、狭い考えだけでもいけません。
これらのことが正しくできて、始めて診断といえます。あまり、診断しすぎることも適切ではありません。
時は一刻一刻を重ねて、時の事情は刻一刻と変化していきます。
一時の診断を信じて、次から次に新しく変化していることを訂正できなければ、また時間が動いているということを加算できなければ、その診断も無意味なものとなってしまいます。多くの者たちは、止まった感情を持っています。けれども時は、動いているのです。
状況は刻々と動いているので、一定に保たれることはありません。診断する側にも、それを受け取る側にも、時の概念をしっかりと持つようにすべきです。
これらの話は、重大なる企業秘密ですから、誰にも話さないようにしなければなりません(笑)。
しかし既に、金線の存在を、迂闊にも漏らしてしまいました。
その皇極宮から金線が出て、人の身体の情報がとれるようになるのは、何次元の段階かといえば、階ひと四次元を円満に終了できる程度、下黄庭の竅穴が十分に充満する程度になっていれば、可能になります。
「階ひと」四次元功訣
しきのあめ めぐむしいのち よんりゅうの
わするこうきょく もとつきわまる
む、ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここ、たり、う
に有るように、皇極が円満に極まれば、下黄庭に元気が充満して、中脈が通じるようになります。そうすれば、皇極宮から金線が出て、情報を取り入れることが出来るのです。
四次元を終了すれば、当然五次元の段階に進みます。
「階ひと」五次元功訣は、
げんきにて ななつのみちを そうてんし
わしたきとみを みわたせば
きんのはしごが たいきょにかかる
ひゃくえより こうとくせいか けつじつし
きんせんいでて こくうにとどく
む、ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここ、たり、う
と伝えているように、金線はますます虚空界へと伸びていき、その情報をサーチ出来るようになります。それらは、修練段階ではなく、修練の成果によって、三元が下黄庭に充満しているということです。
従って、どの次元の修練をしても可能な者は、可能であるし、可能でない者も沢山います。自己の修練段階と与えられる力とは、別物になります。
修練の成果によって、与えられる力としての皇極宮からの情報を受け取る力のことです。自らの思惑や誤解、誤謬とは違います。
けれども、講座を受講するということは、そのチャンスの幅を拡げるということで、有効な手だてです。
この偉大な力は、日之本元極功法の全十二段階の功法の中で、下から二段階目の途中で可能になるほど、この「元極」という功法は奥が深いと云うことをお伝えしておきます。 (完)
「人の臨終の場面で、中丹田と命門に莫大な三元エネルギーを注ぎ込むならば、命は数分間延長されます。」という記述が、増田先生の『「開三門毛孔竅穴」をする意味』の文中にあります。

その実例を私(講師・細川)の体験に基づいて紹介したいと思います。
その方は、60代後半の男性です。
日之本元極にご家族から依頼があった時には、すでに医師から「数日の寿命です」と告げられていたそうです。
「高度の医療を求めて、都会で治療を受けさせたけれども、せめて本人が生まれ育った高山で最後を看取りたい。高山まで、車で三時間の道のりを安全に移動できるようにエネルギーを送って欲しい。」そういうご依頼でしたので、増田先生が東京から遠隔施術の心身共鳴神法を施しながら、名古屋から高山までの道中を、私もご一緒することになりました。
搬送車には、ご本人と緊急時の対応のために、医師と私が同乗することとなり、ご家族はすぐ後ろを伴走されました。私は、三元エネルギーを確認しつつ、身体にエネルギーが巡るように、意念を集中させて緊張しながら同行していました。
幸いなことに、移動中は、痛みや苦しさもなく、うつらうつら眠っておられました。時折、眼を開けては「高山に行けるのは、嬉しい」と喜んで話されていました。また、同行の医師を気遣い「何にも用がないのに、悪いな(笑)」という冗談に、ふるさとへ戻れる喜びを感じました。
そして、数日後とうとう臨終の場面が訪れたのです。
ご本人が危篤状態の時に、増田先生と私とが同席させていただきました。重篤な状態ではあるものの、臨終の場面に家族が大勢揃うことはなかなか困難なことです。
「まだ、息子が来てないので、もうしばらく延命させてください」と言うご家族の声にしたがって、増田先生が、中丹田と命門にエネルギーを注ぎ込まれたときのことです。
すでに、心電図計や血圧計が装着され、指先の酸素濃度等が表示されていました。中丹田からエネルギーが注ぎ込まれるやいなや、突然指先の酸素濃度が急激に上昇したのです。呼吸も脈拍も穏やかになって、家族が集まるに十分な時間の延命が許されました。
それにしても、身体に繋がれた機械の存在が、無形のエネルギーの有様を如実に記録していたことに驚きました。まさに、臨終の時に、中丹田と命門から気のエネルギーを補充すると、酸素濃度や心臓の動きが改善されたことが、機械が測定値として現していたのですから驚愕すべき事実です。
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