| 2011.10.27〜2011.10.28 【気功講義|食べ物について】
放射能の米への影響 1〜2
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数日前、福島県産新米が放射能見検出で、全数出荷OKということになったと発表されました。 他の例から推測すると、国民の多くが「怪しいもんだ。」と疑っているようです。
実際の所、放射能の米への影響ですが、実の中に取り込まれた放射能は、比較的少なくなります。 それは、葉や茎や根に
とりこまれた放射能は多くなりますが、実の中に集められる放射能はフィルターを通るようにして、比較的少なくなるのです。
糖質や、胚芽に必要な栄養分が選択されて、根、茎、葉などのフィルターを通って、そこに集められるので、比較的少なくなります。 しかし比較的少ないというのは、0ではありません。 汚染されているという事実は、間違いではありません。 また、測定値が不安定だということも言えるでしょう。
測定する機械の信憑性が、それぞれに異なっているということも、ある程度いえます。 また測定方法の徹底がなされていない等の問題も存在します。
乾燥した状態では、それほどの量は、測定されなくても、ご飯として炊いて、毎日の生活で取り込まれるとしたら、その量はたいした量になります。
微量の既定値以下であったとしても、恒常的に取り込まれるので、量は多くなります。
しかし魚などの汚染に比べると、米というのは、まだ安心して食べられる食品であることは、確かです。
現在のところ、汚染の拡大で一番心配で、あなたがたが口にしてはいけないものは、魚類です。 また、海草についても同じです。 汚染度が高いと言わざるを得ません。 どこの産地ならばよいということは、ありません。 じわじわと浸透して、汚染は拡大しています。 海洋の産物は、今後口にするべきではありません。

陸地の商品では、通常カリウムを代表とする元素を含んでいる菜っ葉類の食品は、セシウムを取り込むので、汚染の可能性があります。
それに比べれば、穀類については、安定して取り込まれる量は比較的少ないといえます。
根菜類にあたる野菜は、根、茎、葉に取り込まれることが多いのです。実には、フィルターを通るので蓄積しにくい、放射能物質は取り込まれにくいことはあります。根っこは、放射能の物質が行きやすい傾向があるのです。
元々根っこは栄養分などを貯蔵するところですから、放射能が蓄積される可能性はあります。 海洋の汚染に比べるならば、そこに生息する魚類と比較をするならば、野菜類は、食べても良いでしょうし、日之本元極の存在する岐阜、飛騨周辺では、それほど汚染は深刻ではないでしょう。
しかし、量をたくさん食べてはいけません。
たくさん食べて、健康になるというのは 誤りです。 必要最小限、少しだけを食べるというのが、正しい食べ方なのです。 欲を廃し量を調整して、食事の量を減らすことは、重要な食生活の基盤です。 飲食全体の総量を抑えるべきです。 暴飲暴食というのは、内臓の負担を増すことになりますし、放射能物質を多く取り続けることは、 遺伝子を傷つけることもありえます。
ますだようぶん先生の気功講義は下記アドレスをご覧ください。
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| 2011.10.26 【気功講義|食べ物について】
生き残る 麹菌 (みそ)
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先日、「麹菌と放射能」という題で、地元の麹菌が住む者にとって風土と身体に合った物であるということを書いたのですが、
実は私は高山の味噌醤油をあまり食べてはいません。
私の大好きな味噌は、愛知県知多郡武豊町の「傳右衛門」という三年味噌です。
醤油も最近は、「傳右衛門」の「溜まり」を使っています。
住んでいる高山から離れた地で出来た赤味噌(伝衛門味噌)は、腸の中で生き残る活動をしているかどうか心配になるところです。
麹菌にとって風土や気温などそういう条件も重要ですが、この味噌など三年もの長い期間、熟成した味噌は、とても貴重で有効です。 麹菌にとっては、熟成期間ということも重要な要素です。
春夏秋冬の気温の変化の中で、生き残ってきた菌には、それなりの生活の知恵が備わっています。
それは、どんな状況でも生き残っていく知恵です。
それが、人の身体の中でも発揮されるのです。
いじめればいじめるだけ人が強くなるように、長期に渡って熟成されることは、重要なことなのです。
私は今後も、手に入る間は、三年醸造「傳右衛門」の味噌溜まりを使っていくことになりそうです。
しかし、非常に高いのが少し・・・・・ネ。。。。。。
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| 2011.10.07 【気功講義|放射性物質の処理】
放射能物質と藻
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日之本元極では、もう5月の初めより放射性物質に対する有効性をお話しし、
螺旋藻片(スピルリナが主成分)をお薦めしてきました。
それを裏付けるような記事が2011年10月5日の中日新聞朝刊にありましたのでご紹介します。
螺旋藻片
<−−−−−クリック
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| 2011.07.30 【気功講義|食について】
残りは・・・・
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先日ご紹介した、中国の螺旋藻片(らせんもへん)、茶源(ちゃげん)、胖太海(ばんだあはい)の内、 螺旋藻片(らせんもへん)、茶源(ちゃげん)は、売り切れてしまいました。
ご紹介はしていませんでしたが、生春(せいしゅん)という免疫力向上、 滋養強壮によいといわれる食品もなくなってしまいました。 これの主成分は、紅景天というもので、チベットとロシアの一部のみで取れる人参みたいなものだそうで、 ロシアの宇宙飛行士に特別に飲ませている代物らしいです。
胖太海(ばんだあはい) は、まだ有るようなので、試してみようという方は、お早めに・・・・・
次回入荷は、8月末の予定です。
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| 2010.04.18〜04.25 【気功講義|酒】
神々の酒の好み 「酒はぬるめの燗がよい」―1〜8
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以前、何回か神々と酒について書いた事があります。今回はその神の酒への好みについて書いてみたいと思います。私自身はあまりお酒が強くなく、私から話すのも烏滸(おこ)がましいのですが、神からの伝言と思ってお読みください。
日本の神の好みの第一は、にごり酒、清酒、米の味のする酒といえます。
今流行りの、きれいで、かおりだけの酒よりも、「米と麹のかおりと味が何よりなつかしく嬉しい。」とおっしゃっています。 「ほどよい程度に朗らかに、和気あいあいと酒を飲むのがなにより好ましい。」とのことです。
羽目を外して、いさかいの元になるような逸脱して飲み過ぎるのは、好ましくはありません。杯を飲み干したら、次が継ぎ足されるのが、習わしです。杯の中に、まだあるのに継ぎ足したり、継ぐのをせかしたりしてはいけません。
皆で一緒に、飲むというのは身の程を知るということです。身の程を知らぬ若者に、酒を勧めたり、飲ませることもよくはありません。
抑圧された、心の垢、邪気を少々外してくれる役割が酒にはあるので、そのために飲み、語り、楽しみ、宴を共有して祝い、せき(責?席)を盛り上げる。ほがらかな薬にして、用いる。作用させる。
食と一緒に酒を進め、食を勧め、思いをおさえ、楽を共有する。苦しみの酒となってはいけません。
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酒は、ほどよいぬるめの味が、一番です。 室温よりも少し暖かい、ぬるめの味が、最もほどよく味わえる味です。 冷酒も熱燗も、もってのほかです。
倉から出したままの生酒でも、そのままの温度よりも 少し暖かい温度が一番味わい深いものです。 その時その時の室温は、違いますが、すこし暖かい程度の温度が、酒のうまみを一番引き出す飲み心地の良い温度です。
米や米麹の花のような香りが沸き立つのは、冷たくもなく、熱くもない温度が適切です。 酒をこよなく愛するのが、我々、神々です。
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麹、さけ、米を管理しながら、酒の管理をしています。 名前は、人がつけた名前があります。 「わかみず くみまつるの尊」です。
「わかみずくみまつるの尊」 わかい というのは、生き生きとした、はりのある、生きの良い、うまれたばかりの、たまのような、ちからのある、 せいなる、 というような意味があります。
若い水、若水が酒を示します。 正月の元日に、若水をくめ というのは、酒で祝いましょうという意味を持ちます。
祝いの席に、羽目を外すのは、人も神も同じです。
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各地で、その酒の種類や味が違います。 それは、どうしてか? 神は、何を好むのか?
望まれる味と 望む味とが、相まって、その価値が決められます。 土地の風土、文化によって、酒の飲み方も違ってきます。
民族の特徴によって、酒に酔いやすかったり、強い酒が飲めたりというように、人の身体の条件にも違いがあります。
気象、風土、そこで好まれる酒と、好んで飲まれる酒が、誕生してきました。 寒い風土の中で、アルコール度数の高いウイスキーなどが作られ、 暖かい地方でも穀類を利用した焼酎などが、好まれて創られてきました。
日之本元極の位置する飛騨の地では、どぶろくが愛されて造られてきました。 風土が、はぐくんだ人の作り上げた文化といえます。
われわれも、また、そこで生きて、そこで暮らして食の文化を創り上げてきたわけですから、 風土が作り上げた酒を好んでいます。
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宗教との関係は、あまりありません。 風土と作物と人とが織りなす酒が、そこに誕生したということです。
嘆かわしいは、このさけの効用が、うまく利用されておらず、人々の心や身体を荒廃することが多々あることです。
人々が共同で生活する上に、和気藹々となる、ほがらかな場が必要でした。 そのために、酒が珍重されたにもかかわらず、ひとりで憂さ晴らしのために飲む者達が、いかにも多くなりました。
こころの、うさをはらして、心が朗らかになるための妙薬としての酒です。 集いの席での酒が、好まれたのです。 現代ではいつでもどこでも、手軽に手に入るがために、酒の効用やもたらす結果が変化しています。
毒にも薬にもなる酒を、慈しんで、ほのかなかおりを皆で共有しながら楽しむ。
みなで、悦に入って楽しむことが大事なのです。
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日本の神社などで行われている「直会」についても書いた事があります。 そして中国では、それに似た「祭酒」があります。 祭酒:そのとき、神は酒を飲まれたか?
太一道の神、孔子が、伝えてくれます。
酒は所望しておりました。大切な政の祭酒として珍重していました。 ことごとく、人が語らうことは大切な交流の場です。 陽気に語り合い、楽しみを分かち合うことは、大切なことです。 酒は、そういう大事な会合の時に使われました。
しかし、その量は少量で、神の前で、面前で楽しみを分かち合う酒でしたから、今のようにガブガブと飲むことはありません。
孔子から、「太一道は道教の中でも重要なので、直接私が観ています。」とのことです。 老子は、道教全体を観ていて、老子から教えを受けた孔子は太一道を導いているのです。 要は、儒教というのも、道教というのも、同じ人の生きる道に違いはありません。

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前回まで神の好みのお酒について、お話ししてきましたが、一般的な「お燗」の知識をご披露しましょう。インターネットで検索したものをちょっとずるして掲載します。
その1 冷やでもお燗でも楽しめるのが日本酒の特徴です。 しかし、お燗のつけ方で味わいが大きく変わってしまいます。
一般的な、お燗の温度を表す表現(表現と適しているとされる日本酒のタイプ) ・飛びきり燗(とびきりかん)
55℃以上 問題外 ・熱燗(あつかん) 50℃くらい ○本醸造 ○普通酒 完全不可 ・上燗(じょうかん) 45℃くらい ◎純米 ◎本醸造 ◎普通 我慢できん ・ぬる燗(ぬるかん) 40℃くらい ○吟醸 ○純米 ○本醸造 ○普通 OK ・人肌燗(ひとはだかん)35℃くらい
○大吟醸 ○吟醸 ○純米 ○本醸造 ○普通 OK ・日向燗(ひなたかん) 30℃くらい あきまへん
お燗をつける温度は人それぞれの好みによりますが、「人肌燗」から「上燗」くらい、また45℃〜50℃くらいが一般的には適温といわれています。熱すぎるお燗は、日本酒の味と香りのバランスを崩してしまいます。 お燗にして美味しい日本酒のタイプは、コクのあるタイプ、熟成タイプだといわれます。 この2つのタイプは飲用適温帯が広いので、時には冷酒で、また時にはお燗で、その味わいの変化を楽しめます。 お燗をしていっそう美味しい酒を「燗あがりの酒」と呼んでいます。 また、お燗酒は冷酒よりも酔いを感じやすいことから、アルコールの適量を早めに教えてくれる身体に優しい飲み方ともいえます。
神の言う、美味い飲み方は「人肌燗」か「ぬる燗」です。 コニャックだって、グラスの中で人肌にあたためて香りと味を引き出しているでしょう?
そこは洋の東西、同じなんですね。
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一般的な「お燗」の知識をインターネットから検索しました。
その2 お燗の美味しいつけ方
1.
湯煎でつける 鍋にお湯を沸かし一度火からおろして、徳利を肩まで浸けます。2〜3分したら徳利の底を触ってお燗の加減を確認してください。徳利の底に手が触れられるくらいが約50℃の適温です。慣れないうちは酒燗計で温度を確認するのも、コツをつかむ早道です。
2.
電子レンジでつける 最近の電子レンジには「お燗」ボタンもありますが、徳利1本(1合)でだいたい45秒前後で適温になります。 あくまでも目安ですので、まずは水を入れた徳利を使い、ターンテーブルに置く位置を変えたり、秒数を微調整したりしながら温度を確認し、一度そのレンジのコツをつかんでしまえばあとは楽です。 徳利内の温度差を減らすため、口にアルミホイルを被せる、というアドバイスもありました。
3.
その他 なるべくお酒が空気に触れる面積を少なく(アルコールや香りが逃げてしまいます)。 また、長時間加熱しすぎるとアルコール分が飛んだり、成分が変化して変色してしまいます。
飲み屋さんで、たとえば「人肌に燗をつけてくれますか?」と頼むと、まず五軒のうち四軒は 「熱燗ですね?」と、とんちんかんな答えが帰ってきます。 如何に日本酒の飲み方が、きちんと伝承されていないかが判ります。
電子レンジで燗をつけるなんて問題外。電子レンジはすべての料理を台無しにします。 ましてや、アルミホイルを被せるなんて、自殺行為です。
きちんと、湯煎で「人肌燗」か「ぬる燗」につけましょう。 いつか皆さんと、ゆっくり「直会」が出来ますように!!
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| 2009.12.18〜12.20 【気功講義|食べ物について】
玄米おこ麺 試食―1〜2
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通販生活で、玄米から作った麺を見つけました。 広島県大和町の井掛勲さんが、苦労の末完成した玄米と馬鈴薯から作った麺です。 井掛さんの考え方が、私と一緒。
日本人のお米の消費量は、50年前の約半分だそうだ。 逆に小麦の輸入が増え、その海外依存率は86%。 米だけが国内で何とかまかなえる食料だとすれば、もっとその米を食べるべきではないか?
しかし、一方で政治的には米からの転作を勧めている無策ぶり。 昭和60年に比べ、平成17年の日本の耕作放棄地面積は約3倍の38.6万ヘクタールにもなる。
がんばれ、百姓の長男「ハンソンSG」 ということで日之本元極は、ハンソンSGの作ったお米
にパワーを入れて、 美味くて身体によい米を販売しだしたのです。

通販生活で、買った「玄米おこ麺」。一食200円強で、随分高い。 スーパーで売ってるうどんなどの約3倍ほどもします。
お味はどうか? いろいろやってみました。 パスタ風、つけうどん風、ラーメンスープで、など・・・
写真は、ラーメンスープでの例。 これは、結構美味しい。 たれ、つゆ等が濃い味にするとあうようだ。
値段が何とかなれば、いけそうな気がする。 がんばれ、広島の井掛勲さん!!
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| 2009.11.28〜12.12 【気功講義|食べ物について】
修錬と食事―1〜8
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日之本元極功法の修錬を、真剣に続けている(真剣にと言う意味は、養徳なども含めて取り組んでいることを言います)と、 何度もこのブログや講座内で申し上げているように、 食事の好みというか、食べる物に変化が出てきます。
あらゆる物には、その物固有の波動が存在します。勿論、人においても同様です。 養徳と修錬を続けていると、自らの波動がドンドン精妙になってきます。 自分の波動が細かく精妙になってくると、荒くて粗い波動の食べ物には拒否反応が出るようになってくるのです。
食物を大きく分けて、 1.四つ足の動物の食肉 2.鳥等の肉 3.魚介類 4.植物・穀類 の順に波動は細かくなっていく
そして修錬をしっかり続けていると、上の1番から順に食べられなくなっていきます。 あるいは、ある時突然1から3番までが食べられなくなることもあります。
しかし、修錬を継続的にそこそこしていても、そういうことが起こらない方も見えますから、あまり気にしないこと。 そして早くそうなるようになどと求めないようにしましょう。 (つづく)
肉や魚が食べられなくなる症状は、人によりいろいろです。
1.何とはなく食べたくなくなる。 2.食べるとお腹が痛くなる。 3.下ったり、戻したりする。 4.食べると、口の中で出血が始まる。 5.見たり臭いを嗅ぐだけで、吐き気がする。 6.体中むくんだり、体調が極端に悪くなる。
等々、種々様々です。 しかし、そうなることは修錬の結果ですから、栄養が偏るとかの物質的な判断は、もう効かなくなります。
修練者は、無形の形でエネルギーを取り入れることが可能な訳ですから、それが不可能な人用に構築された、栄養学とか、医学はある一部分を除いて適用外になることが多いのです。
中国やインド等の修練者には、昔から食べることなく生き抜いた方々がいたというのは嘘ではありません。勿論そうなるには、並大抵の修錬量ではありませんが・・・。 (つづく)

前回までお話しした肉類が食べられ無くなるようなことは、そんなに希なことではなく起こります。 私だって、食べ物の中で一番大好きだった肉類が、ある時突然食べられなくなったときはショックでした。 今は、食べる物の波動を自分に合わせて食べられますから、食べることは出来はしますが、生臭くて美味しくなくなりました。
お刺身なども大好物だったのですが、今ではやはり生臭い。
野菜や穀類が、旨い。そう思うようにドンドンなってきます。
ところが最近、生野菜を食べることに抵抗が出てきました。 これには、参った。 生野菜が、どうしてまずくなってしまったのか?
よくよく考えてみますと、植物は、動物にそのまま食べられないように、組成を硬くして、身を守ろうとしているのです。食べられてしまっては、次なる繁殖が難しいので、動物にあまりたくさん食べられないように、身を守っているという一面があります。
その一つの手法として、細胞の膜を硬く、荒くして、動物の身体に入っても吸収されにくい、組成を作り出しています。もちろん、動物の方もそれに耐えるように、特別な消化器官を持つなど、
相互の関係を克服していくというような、相互関係も構築されているのです。
生野菜は、繊維膜、細胞膜など表面が硬くて吸収しにくいという点で、硬い組成を、そのまま食べると消化吸収が悪いことになります。
そのまま食べれば、胃腸に負担をかけて、人にとってみれば克服しにくいような弱点となっています。 内臓に負担がかかり、内臓は消化吸収するために、無理に機能を使い、エネルギーも消費してしまうという事が起こっています。 或いは、その吸収を放棄して排出し、非効率な食事をしていることになってしまいます。
この地球上で、限られた食糧資源。総ての人々に行き渡るよう効率的に食べたいところです。
つまりは、生野菜という形では、大量に摂取してはいけないということです。 (つづく)
温野菜などの一度熱を通したものは、細胞膜などの形質が柔らかくなっていますから、吸収しやすく身体にとって、なじみやすく消化吸収しやすい食品となります。
そのことの延長線上に、また同時に存在するのは、植物はすべて動物にとって食べにくいように「灰汁(あく)」を持ちます。最近では、品種の改善によって、ずいぶん、少なくなってきているようですが、灰汁という存在があります。その灰汁によって、身体が冷えるということが起きます。
灰汁の成分は、悪いモノばかりではありませんが、それは、刺激的で身体の陰陽のバランスを崩しやすい傾向があります。
ほとんどの生野菜は、陰に傾きやすいような灰汁を持っています。
その灰汁を熱によって処理すると、灰汁の性質が変わることがあります。温野菜となれば灰汁(あく)の性質が変わり、身体を温める「陽」の性質を持つようになる野菜もあるのです。

生野菜を、体力のないが者が食べると、消化吸収しにくいということもありますが、食品の灰汁が強く作用して、陰に傾くということが起こり、両方加算されて身体の負担が増すことになってしまいます。
生で食べても何ら、問題のない植物もありますが、生食で食べると、問題が多い野菜もあります。 それを理解し、よりよい食生活をするには、その地、その地に文化として残っている事柄を参考にすることです。一つ一つの植物について述べることは出来ません。
その時に、其所で出来る野菜は、この地での、その季節の性質を併せ持っているのですから、地産地消、四季折々の旬の野菜を食べることは、身体にとっても良いことであることは、伝えておきたいことです。
温野菜とて、すべていつでも、そうして食べれば良いわけではありません。季節に応じた、風土に根ざした旬の食物をほんの少し、身体に刺激を与える程度に、食べることがいいでしょう。食べ過ぎることの方が、害が大きいのです。
人を含めた動物には、食べれば、食べるほど消化や吸収を悪くするという性格を身体が持ちますから、消化吸収を助けるためにも小食にすることです。
最近、私は生で食べるとき、植物が、ガードしている波動を感じます。火を加えると、そのガードしている情報が除かれるので、温野菜になるとおいしく食べることができるのではないかと考えています。
「階み」の元音の授受が出来る段階になって長じてくると、だんだん植物の情報を感じてくるように変化してきたと思います。 熱を加えると、良い性質に変化して、食べることに適した食品になることもあるし、ならないこともあるでしょう。植物に応じて、性質はまちまちなので、おしなべて話してきましたが、もちろん例外もあると思います。
長(た)けた修練者には、エネルギーのない食物は、味気なく感じる物です。 エネルギーのない料理には、空虚感が漂っています。

まずいと思えるモノは、口にするな。ということですか?と、問われれば、そういう波動を感じて、まずいと思うモノを食べないという防衛的な考え方は、正しいと言えば正しいでしょう、とお答えしておきましょう。
極端な例を出します。 電子レンジで調理すると、本来持っている食物の波動は酷く荒い不快な物に変わってしまします。それが判らないでテレビなどで紹介している料理家などは、味覚音痴なのでしょう。
反対に、同じ野菜に見えても、エネルギーに富んだ場の良い土地で育った野菜などは、圧倒的な存在感を示し、美味しく戴けます。 一度、高山市新宮町で取れた野菜を食べてみて下さい。 そのことが良くお判りになりますよ。
身体に良くないといえば、食べ過ぎ、飲み過ぎは、良いということは絶対ありません。しかし、食物は適当、いい加減でなければなりません。 楽しみであり、喜びである以上、厳密にしすぎることも出来ないでしょう。
ただ、敏感に波動を感じたり、食べ物の意志を感じたり出来るようになると、少しでも非効率な食べ物を避けるように自然に身体が、防御するようになってくるのです。

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2009.10.29〜11.02 【気功講義|食べ物について】
食べ物とその生産について―1〜4
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「節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義」という文章を書いていて、その本題とは別に食のあり方についても書きたくなってきたので、題を別にしてここに記す。
「捨てる文化」が定着してきてしまい、飲食物には賞味期限なる物を必ず付けなければ、販売できない仕組みだ。しかし、それを過ぎても充分美味しく戴ける物は多いし、というより、賞味期限直後では、ほぼ100%まだ食べて問題が起きないだろう。
人は自分が食べようとする食物が良いか悪いか、殆どの場合、味、臭い、感触、目視などで分かるものである。悪くなった物は、酸っぱくなったり、ぬるっとしたり、臭くなる。人は、古来そうして判断してきた。
それをしないで、データだけで判断しようとする所に、そもそも大きな間違いがあるのではないか。人の感性は、使わねば退化していく。またそうした経験のデータベースが自己の記憶に少なければ少ない程、判断は不正確になっていくだろう。
製造年月日だけを、きっちり間違いなく表記させればよいのでないか。買った後は消費者の責任である。そうしたことを徹底すれば、廃棄される物は少なくなる。 新鮮で美味しい物を常にタイムリーに販売する業者は流行り、そうでない所は自然に淘汰される。
修錬を続けていくと、味覚、臭覚、響きに関する聴覚、温度や気の善し悪しによる熱い寒いの感覚、触覚、勿論無形の物に対する視覚などが、ドンドン敏感になってくる。
一般生活でも、こうした人の潜在能力を発揮できるような生活をしなくてはいけないのではないか。昔に比べ便利にはなっているが、能力を退化させるような仕組みが作られてきている。
近々公開するであろう「階ひと」観訣講座の後に受講できる「識眼功」は、人のもつ潜在的な六つの感覚をより鋭敏にし、総ての情報を的確に判断処理することを修錬する為の功法である。
現在、世界中で生産される食糧を遣り繰りすれば、餓死する人々など出るはずもないのである。
ここ飛騨の地では、いまだに「サツマイモのつる」を食べたり、「ころいも」といって、 直径1〜3センチ位の、他の地方では投棄している芋を煮て食する文化が残っている。芋のつるなど、私が子どもの頃より何度も母親から聞かされた戦時中の話の中で出てきただけの物である。今でも食べられているとは、高山に来るまで知る由もなかった。
国でしないのであれば、一人一人が考えて生活するしかないであろう。 ・必要以上に食べない。 ・無駄に捨てない。 これだけでも、どれだけ他人に回せる食糧が生み出されるであろうか。
更に、形の揃った野菜しか売らない農業ではなく、不揃いでも元気で美味い野菜や果物を作る農業を国として推進すべきでないのか。
我々が感じるに、動物の肉は波動が悪く、身体に良くない。魚類にしても大型になればなるほど波動が悪くなる。 当然のことだ。食物連鎖は、邪気の重畳連鎖である。
こうした物を完全に食べることをやめることはないが、頻度を少なくすることで健康に好結果を産み、人がその飼料のまま食糧にすれば(或いはその農作地で別の物を生産すれば)、更に多くの農作物が人の食糧となる。
この夏、政権は自民党から民主党へと変わった。 それで農業政策がどう変わるのかは、暫く見てみるしかないが、 今までの施策はこちら
に詳しい。
日本の風土・自然・環境は、水田によって守られ、維持されてきた感が大きい。 その水田を止めることに補助金を出したり、転作することに金を出してきている。 米の国内生産を減らし、一方で農薬漬けのような外米や、人の食べられないような米を輸入しているのである。
外交的な遣り取りもあるのであろうが、国土と自然を守るという大前提に立てば、これらの障壁は越えられるはずだ。
化学肥料や農薬・除草剤を極力少なくし、有機肥料と低農薬で米を生産する。作量は2割程減り、労力は増える。しかし、日光の恵みを受けたは天日干し米は、2〜3割り増しの価格で売れる。倍以上する米も結構売れると聞く。
こうした努力をし、環境を守り、うまい米を作る百姓(敢えて百姓という。張先生は、いつも「私は百姓です。」とおっしゃっていた)に、補助金を出せばよいのである。基準を決め、有機栽培米に補助金を出す。
面積に比べ作量は減るが、荒れ地にして放っておくよりは遙かによい。程よい量の良質の米が、国中に溢れるのである。転作で奇を衒って、外国の奇妙な野菜を作る必要もない。 水田が増えれば、虫や鳥の生態が戻る。
日之本元極講師の飯村(百姓の長男)や尾村(同じく百姓の次男)の実家で作る米は、日之本元極の農業用場創りセットで、田んぼに結界を創った中で育てられている。更に田植えから稲刈りまでの間に、彼らの度重なる帯功を受け、エネルギーに満ちた米に育っている。
どちらも新米が出来てきたが、一言「うまい。」・・・・「う米」 尾村家の新米は既に完売。 飯村家の米は、農協に出荷するのを停止して、日之本元極でも修練者の皆さんに販売したいと思う。
先日、民主党の農業政策がどうなるかなどと書いたら、早速農林水産省から、方針が発表された。下の記事の如くだ。
農業政策とは別に、同党が上げている自然とか、エコとかとはまったくリンクしていない。水田から虫や鳥などの生き物が、居なくなっている現状をどう思っているのか。
生き物が居なくなってしまった田から取れるコメを食べている人の身体がどうなっていくのか考えているのだろうか?人の身体の中に日々蓄積されていく農薬や化学肥料。 それらが年々増加の一途と辿っている自閉症や、原因不明の病を引き起こしているとは、夢にも思っていないのである。
経済だけを考えた年間予算5000億円である。
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2009.10.28〜1120 【気功講義|食べ物について】
節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―1〜12
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近頃、テレビ、マスコミにおいても、人々の話題の中にも、飲食に関連する物の比重が非常に多くなっていると思われる。 特にテレビでは、毎日あさから夜中まで、「あそこのこれが美味しい」とか、「ここの何それが、まいう〜!」とかいい、大食い番組まで頻繁に組まれ、高価な料理を沢山食べることが美徳のように奉じられている。
こうした食に関する番組専門のようなタレントも多くいて、それらの人々は痩せると仕事が来ないというように聞いたことがある。 まったくもって、今やこの日本は、デブと大食いを礼賛する社会に成り下がってしまったのかと愕然とする思いである。
世界の各所で、毎日多くの人々が餓死しているという現状の中で、自分たちだけが鱈腹食らい、糞尿垂れ流して、多くの食糧を日々廃棄している。 捨てる位余っているなら、足りない所に何故施すことが出来ないのか?不思議でならない。
確かに、ある素材をどう料理し、美味しい物に仕立て上げるかということは、その積み重ねとして文化の創造と言える。 その地域の食材をそこの風土に合わせ、調理する。そのことが一番身体にも、その場所にとっても良い消費方法であることは間違いない。
近年、地産地消という言葉が盛んに使われているが、実際には、食材の六割以上が外国産であるという体たらくである。 今住んでいる所の風土で育った、食材をその風土にあった処理方法で調理し、過不足なく戴く。
これが本当の地産地消であって、文化に繋がる所行であり、健康の秘訣と言える。 決して食べ過ぎてはいけないのである。
「腹八分目」 昔からの言い伝えであるが、これは一般的な人々に言えることで、修練者にあっては、無形の三元エネルギーを取り入れることが出来る訳であるから、上級になればなるほどその比率は下がっていくことになる。
この延長線上に、節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀等の概念と、実際の事象が存在するのである。
修錬を続けていると、自然に食べる量が減ってきたり、食べる物の好みが変質してきたりする。一般的には、僻穀を除いて、件(くだん)の事象は、意識的に自らが試みるモノである。
しかし元極功法では、僻穀も含めてこれら総てにおいて修錬段階として、その状態が自動的に与えられ設定されることがある。
突然食べられなくなったり、食べると嘔吐する、下痢が始まるというようなことが起こる。 故意にするのではなく、その修錬段階として掌門人達からハードルが与えられるのである。 日之本元極の講師達は、皆それなりにそうしたハードルを越えてきている。
特に「絶飲食」は過酷である。 初めてこの言葉をお聞きになった方も多いと思われるが、6〜7日間何も食べない・何も飲まないで通常通りの生活を送るのである。
常識的には、何も飲まないで過ごせるのかと、疑問に思われる方も多かろう。しかし、その期間に入る一週間程前から、体調の変化が始まる。掌門人達によって体調は管理され始め、その期間が始まっても大丈夫なように準備されるのである。 (つづく)
この十月初め、日之本元極スタッフ数名に、保食(うけもち)の神より絶飲食が課せられました。
絶飲食の意味とその過酷さを心得て生活をしなさい。 あなた方は、日之本元極の講師となって、広く世界を歩く生活をすることになりますから、強固な精神と肉体を持つことが求められます。
あなた方には、何も食べない、飲めない四日間と、少しずつ回復していく二日間があります。
明日から開始されますが、何も飲めない、食べられないのは午後からになります。(実際は、この絶飲食に入った者達は、朝から何も飲まない、何も食べない生活に入った) その後、四日間は何も食べれない、飲めない事になりますが、五日目の朝からは、 少しずつ、飲めるようになります。飲むと同時に、ココアのようなカロリーの高い飲み物は可能になります。そのほかの甘い飲み物も、飲んでも良いでしょう。
保食(うけもち)の神より絶飲食が課せられました。 神よりの事前の注意です。
その後、6日目からは、スープやかゆ、重湯(おもゆ)等が可能になってきます。 6日間ですが、全く飲めない食べれないのは四日間です。
増田は、6日間を厳重に考えていましたが、仕事を成立させるには、厳しいので、 このような提案とします。身体にとって、必要としないから食べないという絶飲食ですから、 身体の機能は落ちません。安心して仕事に向かうようにしなさい。
あなた方は、節制をして開始七日目には、ほんの少し食べることは構いません。 「いただいてから」食べて下さい。既に身体の準備は、開始されています。 身体が欲するような食べ方をしなさい。周りの条件に、左右されて食べるのではなく、 身体に聞いて食べて下さい。 そういうことが出来なければ、いけません。
「いただいて」食べる。というのは、創ってくれた者の「感謝」を、あなたがたがいただき、 神々に食べていただき、その残りをあなた方が、食べるということです。

絶飲食を課せられた新しいスタッフに下ろされた、多紀理毘売命(奥津島比売命)からのお話です。
絶飲食を課せられた者達に対するメッセーシだと、お伝えしなさい。
あなた方にとって、これから日之本元極を広めていく上で必要な覚悟を申し伝えます。 日之本元極を伝えることは、過酷で困難な生活を強いられることになっています。
想像を絶する過酷な試練となるでしょう あなた方が、自分の体力を失ったとしても、あなた方は活動を続けなければならない運命にあるのです。
その過酷な運命を克服し、生きのびる為には、強靭な肉体が求めらていくのです あなた方にとって、その強靭な肉体を手に入れる為には、その肉体の意識(顕在意識と潜在意識)を鍛えねばなりません。
今後、あなた方にとって過酷で厳しい試練が続きます。 これから訪れる厳しい時代を、厳しい終末の世を切り抜けていく為には必要な試練なのです。
これから訪れる厳しい時代を乗り切る為に、試練を乗り切る練習をすることです。

絶食のみならず、どうして水分まで飲んではいけないのか?
物を食べないと、体脂肪が分解されて身体を維持しようとし始めます。 体脂肪を分解する過程で、水分が生み出されてきます。水分を摂取しないことで、速やかに、体脂肪が燃焼されていくようになります。
その分解・燃焼過程の中で、もっとも刺激が与えられるのは、内分泌の系統です。 免疫機能や内分泌が刺激されて、危機の状態を察知します。危機の状態になったときに、免疫力を向上させる事はきわめて重要なことです。
どのような環境の時でも生きれる体力というのは、免疫機能が抜群の選択力をもって、見分けることをします。見分けて防衛する力など、様々な
免疫機能の向上が必要になります。そのためには、緊急事態であるという信号が、免疫系統に送られて、内分泌系統が活発になります。これが絶飲食でもたらされる大きな成果です。
消化吸収の機能だけを高めるのではなく、内分泌系統、免疫機能も高めて、更に消化吸収に関するネットワーク系統も高められます。体内で分解された脂肪から、水分が提供されて、飲まなくても身体の機能を維持できることになります。
次元上昇への終末の時を迎えて、今後、水がしばらく飲めないとか、食べ物飲み物が摂れないことが、起きてきます。 そういう事柄に鑑みて、身体の状態を改善するとともに、絶飲食が指示されました。
絶飲食について、神様にお聞きしてみました。 「本来、絶食をすると、唾液はあまりでないのですが、今回はたくさん出ています。どうしてですか?」 「修錬をしていない普通の人でも出るのですか?」
生命を維持するための致し方のない絶食ではありません。 計画された絶食です。通常の絶食とは、全く異なる機序が起きています。 あなた方の身体は、神の意図によって、無形の空間と無形の臓器と神々と深く繋がれています。 それによって、身体は、三元エネルギーを十分に供給されて、口の中は、唾液で潤されている結果となっています。、内分泌や分泌物のコントロールが今回の課題ですから、その点で唾液が十分に出るようにコントロールされています。その他の内分泌も十分にコントロールされます。
必要な水分は、身体の中だけで供給されているだけではなく、神の意図で違う空間から供給されていますから、その量は少ないのですが、排泄は滞りなく行われます。
絶飲食を指示された修練者達が先ず疑問に思ったのは、水分をまったく取っていないのに普段通りの回数、量のオシッコが出ることでした。

飲むことも食べることもまったく出来ない、絶飲食の期間、6日間を終えた修練者に対して、神より犒(ねぎら)いのお言葉がありました。
絶飲食は、過酷な取り組みだったと思います。特に、日常の生活の延長線上でこのことを実施するのは、とてもたいへんだったことでしょう。この絶飲食の開始は、すでに開始前一週間以上から準備が進められていました。少しずつ、体調を整えることから始まり、邪気を排泄すること、健やかな身体になるような取り組みがなされていました。
修練者個々の身体の弱い所に働きかけて、他の臓器と調和させるようなことが、行われ てきました。その結果の絶飲食です。身体の問題はいろいろあるでしょうが、スムーズに、なんとかスムーズに進めたことを嬉しく思います。
上記のように、このブログを読んだ方々で、このことを指示されてもいない人が、絶飲食を行うことは、とても危険なので、絶対止めて下さい。 周到なる神々の準備と補助、そして普段からの修錬の積み重ねの上で可能なことだからです。

絶飲食の意義について、神は教えて下さいました。
内臓の様子で言うならば、人それぞれ、活発に動く臓器と比較的働きの悪い臓器があります。それぞれが、働かなくても良い状態になると内臓は休息をします。休息をした状態で、臓器が調和する状態に働きかけています。
それぞれ、弱い臓器と働きすぎる臓器があります。弱い臓器をカバーするように、働きすぎる臓器があるのです。
結局は、弱い臓器が弱るかと言えば、働きすぎた臓器も弱ってしまいます。そのことのコントロールをして、臓器が調和して働くように、絶飲食を指示しました。 それは、通常の生活をしていては、臓器は常に働かなければいけない状態に置かれますから、難しいことなのです。
内臓が休んだ状態でコントロールすることが望ましいのです。
絶飲食についての神様の解説は続きます。
5日目から水分を取ることになりますが、水分は少しずつ穏やかな増加で飲まなければなりません。せっかく休息をして、休んでいる臓器に大量に水分が与えられて、急激に働くように指令がなされると、臓器の調和は元の木阿弥となり、働きすぎる臓器が、いの一番に働き始めます。
少しずつ増量するように心がけて下さい。 体脂肪が減るということは、もちろんですが脂肪を燃焼させて、他を活性化させる目的もあります。もともと、臓器についた脂肪は、臓器の働きを低下させることになりますから、五臓の働きの調和の上でも、内臓脂肪は優先的に減少させています。
精神的な鍛錬ということも大きな意味合いがあります。しかし、それは多くを期待していませんでした。すでに当該修練者達においては、それはクリアできる要素を持っているという認識の上に実施しています。精神面での鍛錬よりもむしろ、内臓の調和を目的にしていました。
一般的には、過酷な絶飲食をするということは、精神的な鍛錬も含めて、課せられているとみるべきです。 あなた方には、普段の修錬によって、その力は既に充分培われています。
水の中をよくご覧下さい。―亀

神の解説は続きます。
絶飲食の間、体内の水分は、からからの状態にあります。 ですから、水分を生み出そうとして、細胞同士が相談し合い(細胞は、一つ一つ意志を持っています)、脂肪を燃焼させることで水分を生み出そうとして、全ての細胞が協力し合います。
決して、脂肪細胞だけが燃焼して生まれるのではありません。
他の細胞が協力しないと水分は生み出されません。生み出された水分は、身体の中に有る邪気を優先的に排泄するように、身体から邪気を伴って排泄されます。
ですから危機の状況にあって、身体を健康に保つためには、水分は不可欠ではありますが、身体を健康に保つためには、常に排泄も重要なことなのです。
絶対絶命の危機にあって、身体の調和や健康を考えると排泄されることが優先されるわけです。生命を維持していく営みの中で、排泄こそ、重要な点です。それにもかかわらず、水分を十分に補給すると、細胞への水分の供給が優先されます。排泄は、後回しになってしまいます。
絶飲食についての、飲まないことの意義の解説は佳境に入ります。
こぞって、細胞の全てが、水分を取り合う形になります。見通しとして、危機的な状況ではなくなったので、排泄を優先させる必要が無いからです。細胞同士が、水分を取り合うので、腎臓から排泄される水分が少なくなります。
そのしくみは、主に、血管の太さにあります。 腎臓の血管が太くなれば、利尿作用があります。細胞への血管が、太くなれば、細胞に血液が行き届き、血液が満たされて、腎臓へは供給されなくなります。ですから、水分を競って取り合う状況の中では、排泄が抑制されているということです。 これは、もちろん、脳の中の抗利尿ホルモンも働いてのことです。
ここで、疑問が湧いたので、質問してみました。 「そうした意味からいくと、現代人は、水を取りすぎているのですか?」
生活の上の要求として、水分を取っているわけですから、悪い事ともいえません。 自分の食生活の形を決めて、そのスタイル上で飲み食いすることは重要なことです。
それが、健康を逸脱するものでなければ、水分を取ることは悪いことではありません。 しかし、水分をこれほど取らなくても生きていけるということは、はっきりしています。
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2009.10.27 【気功講義|神仏について】
食べ物と人の身体 保食(うけもち)の神
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絶食や僻穀(へきこく)等の時に、担当としてご指導いただくのが、一般的には食べ物の神とされている保食(うけもち)の神です。食べ物に関する神が何柱(神様は、一人、二人と数えるのではなく、一柱、二柱と数えます。)もいらっしゃるので、保食の神にどう違うのかお聞きしてみました。
私は、食べ物を創ると言うことを受け持っているのではなく、食べ物が人の身体にどう作用するか、というようなことを受け持っています。
人や動物の身体にとっての「食べ物の価値」という部門を受け持ってます。 私には、このあなた方の絶食等を受け持つことが適任なのです。
また別に、食の神といわれている、宇迦の御魂の神は、 作物を作る、創らせる、拡げていく、穀類を保存して食べ物として拡げていく仕事をします。私とは、全く仕事の内容が違っています。
また同じく食の神といわれている、大宜都比売(おおげつひめ)は、 食べ物を創る者と、「食べ物」にしたてて行く中間の仕事をしていきます。
保食という字は、「食のイロハの+(神)」という意味です。「保」という字を分解すると
イ ロ ハ に + と分けられます。「+」は、神という意味です。
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2009.10.2〜10.7 【気功講義|食べ物について】
塩田に行きなさい。 塩の力―1〜4
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繰り返し、くどくも塩について 神より「塩田に行きなさい。」と言われました。他の用事で能登半島に行ったときのことです。
塩は、生命にとって重要な物質です。その「力」を渡しますから、塩の製造工程を見てきなさい。具体的に、全部を知る必要はありませんが、塩が古代からどう創られて、その製法はどうなのかを見てきなさい。
能登半島には、原始的とも言える「揚げ浜式製塩法」や「入り浜式製塩法」が、今でも行われています。
揚げ浜式の塩づくりは 大地の力、太陽の力、煮詰める力、人の労力などあらゆる力が総合された結晶の塩となっています。その力が今後、あなた方の塩に反映されます。
「海のまなみ」に、反映させるという事もありますが、それだけではありません。 今後、あなた方が混乱の中を生きていくための塩づくりのルーツでもあり、ルートになります。

「海のまなみ」は、どのように、かわりますか?
初めて、海の水から塩を創ったときの喜びが加わります。これは、大いなる事です。海の水から塩を創った喜び、そして、初めて塩が出来たときの感激の気持ち、喜びの気持ちが、他の精神的な邪気を排泄することになります。
邪気は、身体の邪気も多かったのですが、塩が喜びのエネルギーを得て、身体にはいるとすると、その塩は、押し出すかのように、気持ちから精神的な邪気を排泄し始めます。
古来より、塩は貴重品として、神の御前に備えられるほど、珍重されました。 神殿に塩を飾る起源は、それほど重要なモノであったことを現しています。 古来より、塩は、珍重されるべきものであったのです。
そういう意味で、「海のまなみ」にもエネルギーが付加されましたから、味の違いが分かる者には、明確な違いが認識出来るでしょう。

精神的な邪気の排泄は、どんな場面でなされますか?
食べるよりも むしろ風呂での使用の方が、精神的な邪気を排泄するには有効でしょう。 それは身体に、吸収されて作用する塩は、毛孔竅穴からの方が、吸収しやすい特徴があります。
もちろん、精神的な邪気が排泄された時には、後の処理に気をつける必要はあります。 その作用は、元極修練者には、より顕著に見られることになります。 だれにでも、作用しますが、毛孔竅穴が呼吸するかのように働いている元極修練者には、その傾向が強くなります。
根本的なところで、人が塩に出会い、塩を創り、塩を生活の中に活用できた喜びが、エネルギーとなって力になっていますから、既に述べたような精神的な問題にはもちろん効果はあります。
更にこれに伴って、塩が文化を生み出す様に、また様々な場面で活用されてきた様に、人の力がこれに、加わります。
塩が、人の生活に活用されてきた、その原点にまで、さかのぼって、人と塩との営みの力が加えられます。
これまでは、天地のエネルギー、海の原点のエネルギーが、「海のまなみ」には、あったわけで、所謂「天・地」のエネルギーが備わった「海のまなみ」でした。
今回さらに、人が生み出した力が加わり、「天・地・人」のエネルギーが揃った、万能の力を備えた塩ということになります。
この「海のまなみ」は、非常に重要な食生活の基盤を受け持つことになりますし、それ以外にも祓い清めるという使い方も 多く使われてきました。 そこに、「人の邪気・想念などにも祓い清める力が作用する。」こういう力を兼ね備えるということです。
人の情念、人にまつわる邪念、濁気、そういうものに対して、食べてもよいし、撒いても、身体にかけても、使えるということです。
人の想念に関する はらい清めの作用は特徴的に強まっています。 それは、今では失われてしまった、人の歴史の中で塩を使って活用してきた、 塩の文化なのです。

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2009.10.1 【気功講義|元極パワー】
「天のまなみ」が変わります
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天の水分(みくまり)の神「湧水の力」、海坊主の神「あぶくの力」「珊瑚礁の力」
私の力を「天のまなみ」や他の功法等々に使ってください、協力しましょうと言われて、 沖縄から帰った翌日、沖縄の地から高山新宮神社に入ると、海坊主の神といわれる方が、ご挨拶に来られました。
私が管理している力を使って、増田に協力しましょう。 これは、あぶくがわき出して、わき出して、外に出る力と、 地の底から、水がわき出すその時に、周囲と混じり合わずにあぶくの固まりとして、あぶくの中に封じ込めて、邪気を外に出す働きをする、「あぶく」の力です。
また、地の力として、地に邪気を封じ込めておきながら、「地」そのものが、収縮したり拡張したりしながら、押し出す力です。
私の力は、天の水分の神の湧水の力と共に、あなたに差し出します。 それは、人の身体から、邪気などの悪いモノを押し出す力、また、人の身体に、気のエネルギーを押し込める、導入する働きとして、使うことが出来ます。
わたくし、海坊主が差し出し、協力するのは、「あぶく」の力です。そして、「地」の力は、私が携えて持ってきました。そんな言い方をするのは何故かというと、沖縄の海で要請された力だからです。沖縄の海で珊瑚礁が育ち、その珊瑚礁の根となるような力が、地に備わっていました。
その役割を珊瑚礁が受け持ち、酸素を生み出した地の力です。私は、その力を携えて持ってきました。その地が収縮・拡張して悪い物を押し出す力「珊瑚礁の力」と呼んでも良いでしょう。
今後、日之本元極で使われる全ての功法やあらゆるモノに、それが付随して使われることになりましょう。
新たに天の水分の神の「湧水の力」、海坊主の神の「あぶくの力」「珊瑚礁の力」が加えられた「天のまなみ」が発動します。
2009/09/28の午前0時00分、総ての「天のまなみ」が変わりました。 勿論、今貴方がご自宅で使いかけの「天のまなみ」も変化しています。
増田先生の気功講義バックナンバーは
HP潜在能力と気功・功法または、
ブログ潜在能力と気功・功法をご覧ください。 |
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2009.9.3〜9.5 【気功講義|食と気功】
海水から創った塩を摂ったときに、体内の邪を排泄できるか(1)(2)
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塩を取ると邪気・濁気を排泄できる可能性はあります。 何故可能性という言い方をしたかというと
汚れた身体に塩が入り排泄しようとしても、その身体に、排泄する力、エネルギー、パワー、がなければ、それは、排泄できずに、ただただ、塩の排泄物となって、身体に溜まることがあります。
それによって、よどみ、停滞して、身体に溜まっていくという悪循環が引き起こされます。これが、いわゆる浮腫ということです。ですから、排泄する力のない者、病気の者、排泄する力の弱い者は、塩気のもの、塩分を摂ることが身体に悪いといえます。
海水から創った塩は、無形の臓器(人の身体は、有形の肉体と無形の肉体が重なって出来ています)にも働きかけます。海から造った塩というのは、NaClというような化学物質で解析できるものばかりではありません。解析できる物質としてではなく、祓い清めの力や押し出そうとする排泄のエネルギー(力)作用を持ちます。
塩そのものに、祓い清める力があるのです。 塩を摂れば、悪いものを押し出す無形のエネルギーが身体にはいり、身体から悪いものを押し出す事が可能になります。
何か、他の物質と結合するとか、何かと出会うとかではなく、身体から塩というパワーを入れると押し出すパワーによって、排泄されるということです。それは、まさしく、無形の塩のエネルギーなわけです。
前回申し上げた、塩の排泄物を押し出す、排泄する働きというのは、塩の塩辛い成分にあるというよりは、その塩辛さは、排泄するエネルギーの結果の味なのです。ここを誤解してはいけません。
「海のまなみ−食用」よりも「海のまなみ−祓い清め用」の方が、塩辛いことでご理解いただけるでしょう。
けれども、その塩辛さに準じて食道や胃などの粘膜が、縮こまるということが起きますから、一度に大量に摂取すると、それは通過域の粘膜が縮こまって荒れる事になります。
これらのことが、塩分をたくさん取る食生活によって、癌が発生しやすいという事実に結びついたわけです。塩分の濃さは、邪を排泄する力に正比例をします。
邪を排泄する力は、塩気が強ければ強いほど、その力を高めます。
邪を排泄する塩の力は、無形の臓器に働き、身体から悪いものを排泄するように、働きかけます。これは、塩の粒の周りにエネルギーの放たれるオーラのような力(パワー)があって、その無形の力が身体に入ることによって、働きかけるものです。
ですから、塩を取る生活というのは、健康を保つ上でも重大なことになります。 では、「海のまなみ」は、身体にどう働きかけるのかというと、身体にエネルギーを補給しながら、邪を払う作用も同時に併せ持ちます。ですから、排泄する力はより強くなり、そして、排泄できない体力の者でも排泄が出来るということになります。
このことは、通常の三元エネルギーの付加されていない塩では、あり得ないことなのです。
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2009.8.31〜9.4 【気功講義|食と気功】
人の身体、塩分について(1)〜(3)
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無意識のうちに取っているほどの塩分の量で、身体に悪影響を及ぼすでしょうか?
このことは、定説として現代の医学でも認められていることです。 マスコミなどでも、しきりに「塩分を控えましょう」と、繰り返し繰り返し言っています。 人の生活に、火を使えるようになり、調理をして味付けをすることが可能になりました。塩を使って、煮る・焼くということが、食品の貯蔵に役立つと言うことが分かってきました。 また、塩で貯蔵するという知恵も生まれました。
塩は人の生活や食文化、そして、食品の貯蔵に大きな役割を果たしてきました。 人々の生存の可能性を拡大して、人口の増加を可能にしました。 それによって、人は集合して生活することが可能になってきたのです。したがって、塩は生活の文化を創り出し、人の生活の文化をも生み出してきたのです。
人の生存の可能性を広げてきたという点で、大きな役割を果たしてきました。その歴史の中で、塩分の多い食事というのは許容されてきたわけです。 しかしながら、一部の心臓に疾患を持った者などでは、浮腫などが起きて、水分の排泄がうまくできない異常がでてきました。
やがて、心臓などの臓器の機能が低下、停滞している場合には、塩分の量を減らすと体調が改善することを発見したのです。そのことは、医学の発展と健康と食生活の重要性の認識を深めるために有効でした。
海水から作られた塩が、盛り塩をしたり、お葬式の後で身体を祓ったりするのに効果的なように、邪を祓うのに効果があるとしたら、体内の邪も塩を取ることによって祓ったり排泄することが出来るのではないかという疑問が湧きます。
とは言え、実際には臓器の調子の良くない者が、塩を取りすぎると具合が悪くなり、減らせば好転することが判ってきました。
然れども、この発想は、逆転する要素を持っています。 つまり、塩分が、身体の浮腫を悪化させる物ではなく、臓器の異常な機能の低下が身体の浮腫などの異常な結果をもたらすのです。
臓器が正常に働く力があれば、塩分の摂取は排泄という形を取って、なんら問題なく体外へと排出されるのです。体内では塩は祓う機能はあっても、その者に排泄するだけのエネルギーがなければ体外へと持ち出せないのです。 ミネラル分を含んだ、海水で創られた塩は、身体を構成する他の微量な成分も含まれているので、循環を促進する働きさえあります。
大量に摂取することさえなければ、塩分を摂取することは、それほど悪いことではありません。むしろ、身体にとっては、重要なミネラル成分です。それでは、臓器の機能が、低下しているときに、塩分を少なくするとなぜ、臓器の負担が減るのか。という点について言及しましょう。
塩分を制限すると水のコントロールが容易になるからです。臓器の機能の低下がある場合には、塩分を少なくすることが有効なのです。臓器の中で身体全体のパワーに一番関わっているのは腎臓です。その腎臓が水つまり小便の排泄に関わっているのです。
けれども、臓器が十分に機能する力を持っているにもかかわらず、予防的に塩分を少なくすることが、健康に良いとは言い切れません。 不必要にたくさん取ることも、不必要に制限することも無駄なことです。
健康な者は、自然に海水から造った塩を取ればよいし、臓器の具合が悪い者は、良くなるまで減らせばよいのであって、健康な者まで減らす必要はないのです。
人が自然な食生活を営み、文化の継承として、塩の働きを尊重してきました。
取りすぎ、食べ過ぎ、または食べない。という極端な健康法をいたずらにするのではなく、塩分も他の食品をも生きて働くために摂取することです。
「地産地消」の原則の中で、地に根ざした食品を食べる。暮らしている土地の風土のあったものを食べる。食文化の発展の原則のなかで、人が脈々と伝承してきた文化をいかすことが、塩の消費の面からもいえます。
風土に合わない珍しい食品が横行し、季節にも、生活にも合わない食物が多いのが現状です。「よい」とされるモノを時も季節も身体の条件も関係なく、ただただ大量に取れば元気になると考えているサプリメントなどの物は、過ぎたるが及ばざるがごとしです。たとえば、アフリカでタロイモばかりを食している者達の食生活が、全ての人にとって、良好な食事とも言い切れません。
健康な者が無意識のうちに、即ち通常の生活の中で普通に取っている塩分程の量は身体に悪いとは言えず寧ろ良い結果を生みます。(精製された物や、岩塩は除く)
寧ろ、良い物だと言って意識して大量に取るサプリメントや薬の類の方が、身体にとっては遙かに悪いと言えるでしょう。
風土にあった、食物、食品を食べることが一番良い食生活であることを忘れてはいけません。塩についても伝統に根ざした、塩の消費量を守るべきで、文化の伝承を受け継いでいく必要がありそうです。
(完)
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2009.8.28〜9.2 【気功講義|食と気功】
絶食は、体質改善や、病の改善に効果があるのか?(1)〜(4)
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上記、表題のことについて、神様に聞いてみました。
「心身共鳴神法」(日之本元極功法による長期継続的遠隔外気法)に属する代謝の神です。人の代謝の仕組みについて私が答えます。
人の代謝の仕組みについて説明するならば、消化、吸収、排泄、ということが一連の機能といえます。その仕組みの中で、食物からエネルギーを得て、身体に分散して、人の活力としているわけです。
それらのサイクルが、食べ物が取り入れられないという状態になると、休業状態となります。これは、安定した供給がなされないということになって、細胞は飢餓状態となります。そのために、活性化して働きを強め、消化も吸収も排泄も働きを強めて、食べ物を待ち受けるような状態になります。
それは、一連のサイクルですから、食べ物が入らない場合でも、サイクルの働きを強めることとなります。 瀉(悪い物、いらない物を排泄すること)の働きが活性化されるならば、食品を吸収する働きも促進します。
吸収も排泄も、その仕組みの中の弱っている、
停滞している部分を何としてでも活性化させて、機能を高めるような命令をします。
そこで、吸収と排泄のサイクルがより働きを強めることになります。これが、「絶食」によって起きる、吸収と排泄の作用の強化です。
前回伝えたのは、一般的な者達のことです。元極功法の修練者においては状況が大きく変わってきます。
修練者に、特徴的なことは、三元エネルギーが備わっているという点です。この断食期間中に置いても、修錬することで三元エネルギーが、どんどん注入されるという方法が取られます。
それによって、消化吸収、排泄のサイクルは、どんどん若返えって、機能を高め、より旺盛な 消化、吸収、排泄の力を持ちます。新陳代謝がより進み、古いものは排泄されて、新しいものが生まれるというシステムが、稼働します。
これが、あなた方元極功法修練者に特徴的な絶食の作用、効果となります。
絶食の適切な期間は、どれだけかと問われれば、個々によってばらつきがあります。上級修練者であれば、6日間程度が適当だと判断されます。それは、長い期間でも十分に耐えうる体力もあるし、精神的にも鍛えるという意味合いもあります。
いくら、活性化されて、十分に働く消化吸収の期間であっても、それ以上改善できない頂点があります。そうすると、そこで頂点が(機能の改善が)、どんどん下がって行くということが起きます。
頂点が下がらない。馴れ合いにならない程度の絶食期間、が適当なのです。一番良い状態で絶食が終えられるのが理想なのです。むやみに長くする必要はないのです。寧ろ逆効果になります。
絶食において、一般的に勧められないことがあります。
絶食をむやみに、行う説は、あまり適切ではないと考えています。
一般的に行われている絶食では、体調の良い者では、良い結果がもたらされることもありますが、体調の悪い者が、絶食をしても結果がでないことがあります。個々のケースによりますが、体調の悪い者は、あまり行わない方がよいと考えています。
それは、身体にエネルギーが少なくて、有形の食物からエネルギーを取り入れなくてはならない、エネルギーを欲している身体なのです。取り入れて消耗していくスピードが速いため、有形の栄養を取り入れることは、重要なエネルギー補給なのです。
自分が健康だと思いこんでいる者にも注意が必要です。見えない所に病が潜んでいる可能性もあります。行う前に精密検査などを受け、問題ないことを確認して下さい。
そうした病気を持っている者や、体調の優れない者達は、まず元極功法を継続実施することで、健康を取り戻し、その上での絶食実施をすることで、肉体の代謝機能を更に高めるのに効果を顕すでしょう。
【絶食時、「海のまなみ」と「天のまなみ」は必要なのか 】
「心身共鳴神法」(日之本元極功法による長期継続的遠隔外気法)に属する代謝の神が、続けてお教え下さいます。
あなた方、元極功法修練者によるものと、一般的な絶食の効能とは、全く切り離して考えなさい。 あなた方修練者の場合には、「海のまなみ」と「天のまなみ」を取る必要はなく、すでに、エネルギーが充ちていますから、一般的な海水から造られた塩と水で不足を補うことで、充分です。(充分修錬を継続している者に対しての話です)
修練者は、基本的に塩と水を補充するだけで良いのです。 塩は、物質として身体の中にはいり、それは、塩分・ミネラルとして、身体の中に取り入れられて、組織を活性化させていきます。
絶食の時には、ミネラル分を含んだ海水を乾かした塩分を身体に取り入れることは、なお、よりよい排泄に繋がっていきます。 ですから、「海のまなみ」や「天のまなみ」をとっても構いませんが、あなたがたは、エネルギーが一杯なので、わざわざ、これにこだわることは無いということです。
絶食終了後の、食事には充分注意しなさい。三日間位かけて、徐々に流動食から通常の食事へと戻していくことです。量にも気をつけなさい。少しずつ、少しずつ三日間で増やして行って、通常の量に戻します。 (完)
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2009.8.23〜25 【気功講義|食と気功】
「海のまなみ」の使い方(1)〜(3)
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通常市販されている塩に比べ「海のまなみ−食用」は、膨大なエネルギーが付加されています。そのエネルギーの働きにより、邪気排泄、祓い清め、エネルギーの供給などの力がある訳です。それに加え、「海のまなみ−祓い清め用」には、更に火のエネルギーが付加されています。
今まで通り、日のエネルギーが付加され、そして、それぞれの作業過程にまで遡って、火のエネルギーが付加されています。この「塩+三元エネルギー」は、邪気の排出作用が極めて効果的に、働いています。それは、「海のまなみ−食用」の3〜5倍程度の邪気の排出作用があります。
また力も強い上にエネルギーの波動が細かく、身体の内部に浸透するような作用が強くなっていますから、邪気の排出も効率よく行われるということになります。
身体の中に入りやすい、浸透しやすい、そして、押し出す力が、大きいということです。塩のエネルギーの持つ波動の細かさは言うに及ばず、その細かさ故に、邪気対策に優れています。
この「海のまなみ−祓い清め用」の味としては、強烈に塩辛い印象がありますが、邪気排出効果が高まったためのエネルギーの影響です。「海のまなみ−食用」の素晴らしい味と比べてしまうと、味が落ちると感じるでしょう。甘み成分、旨味(うまみ)成分ということを活かして調理に使うならば、「海のまなみ−
食用」の方が「旨味」としてはおいしいと言えるでしょう。
邪気の排出や邪気を消す効果をねらって調理に使うのであれば、それは、どちらを使っても構わないわけです。たとえば、塩で揉んで苦みを消すなどの調理、野菜の灰汁(あく)を抜くというためにゆでる場合、貝や魚の生臭さを消すために塩で洗うなどの場合、消毒薬の付着が心配される野菜を洗うとき等には、「海のまなみ−祓い清め用」が優れているでしょう。
その他、料理に使う場合のほとんどは、火が使われていない塩=「海のまなみ-食用」が適しています。相手の味を引き出すような力があるからです。梅干しなど漬け物や保存食、味噌汁、やスープの味付け、生のまま味を引き出すために魚に振る塩は「海のまなみ−食用」の方がおいしいでしょう。
一般的に調理に使うには、「海のまなみ−食用」の方が料理を引き立てます。もちろん、好みにもよるでしょうから、使い方は皆さんが工夫していただければ構いません。
もう一つ、その方の体調によっても、受ける味の印象が違います。味覚と臓腑の働きには関連性があるからです。
また、修練によって「塩」の「塩辛さ」の味覚が変わっていきます。体調が改善すると、或いは体調が増進すると、「刺すような塩辛さ」や「苦み」が、「旨味」に変化します。エネルギーに満ちた「塩の魅力」を味わっていただきたいと思います。
<「海のまなみ−祓い清め用」を使って、場を清める方法>
場を清めるためには、その場に撒くのが効果的です。四隅に置いておくのも効果的ではありますが、一番良いのは、撒く方法です。家の中に気を運ぶ、家の中に邪気を入れない、という意味では、玄関や掃除の出来るところに撒いて使うことが一番良いと思います。そのほかに、「天のまなみ」に入れて、溶かして使う方法も有効です。こうすることによって、撒くだけではなくスプレー容器に入れ「天のまなみ」と共に室内にも噴霧できます。
塩で洗う方法もあります。洗い流すときに塩を使って洗うのです。 邪気の多いモノを塩で洗う。洗濯の時に、塩を使う。また、身体を洗うときに塩で洗う。そういう方法も有効です。「出毒素風呂」等のところでご紹介しているように、もちろん風呂にいれることも有効です。
また、塩を身につけることも一つの方法です。火のエネルギーが加わった塩ですから、そのエネルギーは莫大なものです。それを常に携帯するようにするのです。紙の袋や紙で包んで身体に着けるだけです。封筒などに入れるだけで構わないのです。
何も形式を整える必要はありません。それを、どんどん身につけて邪気を吸い取って交換していくといいのです。エネルギーを補い邪気を取ることに優れています。持つだけで痛み止めにも使えるでしょうし、重症の者の痛みをとるためには、塩で足湯をすることは昔から行われていた方法です。炎症を鎮める、痛みを取る。弱っているところにエネルギーを補充する。痛いところに貼り付けると暖まる。暖まることで、炎症が静まる。そういうことは、充分に効果のあることですし、歴史的に検証されていることです。
しかし塩には、刺激性もありますから粘膜や皮膚の弱いところに直接当てないほうがいいでしょう。全ての場合に、この方法が良いとは限りません。
このエネルギーのある塩は身につけておくことで、効果を現します。けれども、単なる民間療法と同じであるというレベルで考えてもいけません。敏感な方々であれば、この「海のまなみ−祓い清め用」の効果は明らかに分かるでしょうから、場づくり、邪気消し、風呂用には、この「海のまなみ−祓い清め用」の方が優れていると実感して戴けるかと思います。
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2009.8.19〜22 【気功講義】
海水から造った塩について(1)〜(4)
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塩には、いろいろ種類があります。海水から造ったもの、その中にもいろいろな製法があります。塩田における天日製塩法、イオン交換膜製塩法、揚げ浜式製塩法等。また岩塩や、海が堰き止められ湖となって、それが干上がって塩湖となり、出来た塩等・・・・。世界で使われている塩の、約40%が海水から造られるもののようです。
我々島国に住む日本人の感覚では、ほとんどが海水から造られていると思えてしまいますが、意外です。 そして日本の塩自給率は約15%と、お寒い限りです。
岩塩はどうして出来上がったかと言えば、海であった土地が地殻変動により地中に埋まり海水の塩分が結晶化し地層となったものな訳です。つまり元をただせば塩の全ては海水由来ということです。岩塩の製法は溶解採掘法と、乾式採掘法に分かれ、溶解採掘法は一度水に溶かし、煮詰めて塩を取り出します。この製法は不純物が混じらないので、食用として使えます。他方、乾式採掘は直接掘り出す方法で、ほとんど不純物が混じっていることと、硬いので食用として適しません。
海より造る天日製塩法については、海水を塩田に引き込み、複数の水田を巡回させながら、太陽と風で海水を濃縮していき,中心にある最後の採塩池で自然結晶した塩を収穫します。商品として売るには、収穫されてから1-2年寝かされて水分をとった上で販売されることが多いようです。
岩塩が塩資源として存在せず、平地が狭く雨の多い日本では天日塩の生産にも適していません。そのため、古く奈良時代より濃い塩水(鹹水)をつくり、それを煮詰める、という極めて製造効率の悪い製塩方法が取られていました。よって海外の市販塩との物理的品質差と、価格差が大きかったといえます。
そこで濃い塩水(鹹水)をつくる方法の技術改良というより、製造コストの低減法(奈良時代からの揚浜式製塩法→江戸時代の入浜式製塩法→昭和30年代の流下式製塩法→昭和47年頃から現在まで続く最低の質の塩を造る製塩法=イオン交換膜製塩法)が開発されてきました。イオン交換膜製塩法が何故最低かと言えば、何のエネルギーも存在しないように造り上げているからです。
これら塩の製造由来の中で、何がよいかと問われれば、「海水から造った塩」といえるでしょう。海水から創った塩が優れているわけは、海で生き物が連鎖し、連鎖した生き物が、また新しい生き物を産み出すという、「生物が連鎖して生き物を産み出す力」がその塩の中にも機能してあるからです。その海の中からとった塩は、「生き物」が食べる塩として優れているのです。眼に見えないものの「生命」が溢れているのです。
かたや岩塩や塩湖の塩は、化石のようになる過程の塩であったり、化石のような息絶えてしまった塩の塊なわけです。もちろん食べても問題はありませんし、物質として有効なミネラルも含まれていますので、物質的肉体にとって有効なこともあります。
しかし、どちらかというと海で育まれた生命力にあふれる「塩」に明らかな軍配が上がります。海水からとった塩は、人の身体に一番適した滋養と無形のエネルギーをもたらすのです。 海水は塩分といえばそれまでですし、海水も岩塩も同じ成分だといえば物質的にはその通りです。しかし海水には、目には見えませんが、命を産み出す大いなる生命力のエネルギーが含まれているということを見逃さないようにして下さい。
日本に岩塩が存在しないということは、資源がないと嘆くよりも、寧ろ代々生命力の備わった塩しか食べることが出来ないように神が計られたと考えられるのではないでしょうか。
そして前述のように、日本では天日塩の生産にも適しておらず、極めて製造効率の悪い製塩方法で、鹹水をつくり火によって煮詰めて製塩していました。日本では、この限られた環境の中、日のエネルギーに火のパワーを加えるという最高の製塩法をやむなく取っていたのです。
「天のまなみ」は、塩という媒体のうえに更に三元エネルギーを載せた物ですが、その媒体である塩は、物理的に言えば、海水を天日によって乾かして造られています。その生命力を持った塩に、修練者の功力と神のお力添えにより莫大なエネルギーを加え、更に最高の気場に一定の期間置くことによって、エネルギーの増加と安定が図られています。正に、「塩という媒体に載ったエネルギーの結晶」と言えるでしょう。
この「天のまなみ」を「エネルギーの補給」に、「邪気のはらい清め」に上手な使い方で有効利用するようにして下さい。
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食と気功
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アフリカの乾燥した大地が育てたフーディアについてお話ししましょう。
この植物は、最近ダイエットに効果があるということで脚光を浴びています。そして希少価値から、お値段も結構張る物となっているようです。
フーディアの持っている特徴は、特別に珍しいと言うに当たりません。アフリカの乾燥した大地に育った植物には、それらと同じような性質の物質を多かれ少なかれ持っています。フーディアは、特徴的に多いという性質があるというだけです。
これらの植物は、動物に好んで食べられることによって、その種が拡がっていくという性質を持ちますから、動物にとって非常に腹持ちが良いという特性を備えることで、引き続き定期的に食べてもらえるという「循環させる特性」を持っているのです。植物と動物の関係によって、その特徴が創られたということに過ぎません。
ががいもの仲間ですが、より食べやすく目に付きやすい形ということで、地下に存在せず、食べやすく地上に存在するのが特徴です。地上に顔を出した状態で存在しています。乾燥して食物が不足し、なにも食べるものが無いところに住む動物たちの恰好の食材となるように、植物の特性が創られました。
つまりは、この植物を食べると腹持ちがよい感覚がするということです。
血糖値を下げないで一定に保つような、そういう働きをします。しかし感覚的に腹持ちがよいという状態がおきるだけで、身体の中の脂肪を使ってエネルギーに、転換させていくことについては、物事は普遍的に変わりません。血糖値が下がらないので、常に満腹感があるということです。つまりは脂肪を能率良く提供していく能力が高いのです。皮下に貯めずに、血液の中の血糖にして供給して出していくことに優れています。
それでは、フーデイアは内臓脂肪に対してはどう作用するのでしょうか?
内臓脂肪は、病的に付いた脂肪でなければ、消費されることとなります。皮下脂肪と同じように内臓脂肪も消費されることとなります。優先されて消費されるのは、比較的後から付いた内臓脂肪ですから、内臓の脂肪が減る事実はあります。
しかし、病的に付いた脂肪。つまり内臓の機能が衰えて、内臓に染みついたように増えている脂肪、組織の中に入り込んでいる脂肪や、遺伝的な体質があって、先天的に常時脂肪を取り込んでついたような内臓脂肪については、フーデイアで減らすことは出来ません。
内臓の機能の低下によって、脂肪が付いた物や病的な原因によって内臓に脂肪がついた以外の内臓脂肪については、皮下脂肪と同じように消費されることになります。
つまりメタボリックシンドローム対策としては、予防としてある程度効果的ではあるものの、既に病気的になった内臓脂肪には効果がないということです。
もちろんこの作用を、ダイエット効果があるといえばそうですが、そういう使い方が好ましいとは思えません。つまりは乾燥した大地が、空腹に耐える動物にとって役立つ食物として育ててくれた「恵み」なわけです。植物と動物の相関関係の結果の植物ですから、この原理をダイエットに応用するのは危険です。効果はありますが、危険なことです。
空腹感と満腹感が相互に訪れて幸福感を得ることが食物の興味関心であり、喜びもあるのですから、むやみに操作することは、よくありません。
日之本元極 亀仙人 |
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食と気功
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快食、快眠、快便というのは、人の求めている快楽の摂理です。これらのことが上手くいくことが健康の元であるという錯覚も起きてくるところです。
人は常識にとらわれて、その常識の中で生きている生き物です。そして集団の中の多くの者達が同じ行動をすることが常識であり、それが自分にとっても良いと思うという錯覚です。烏合の衆の中で生きていくことは、安心感があります。その安心感が集団の中への所属性向を強めています。
そのことが文化の発達、人を収めるという生活の生業に、必要なことではありました。このことによる発展が、今の社会です。社会の中の安定は、人と同じことを繰り返すという感覚の中で生まれています。人それぞれが異なることを好み、違うことをしては、まとまりが付かないのです。
しかし物事の斬新な発想は、ひとたび今の常識的な行動を止めて、その中身の奥深さを感じてみることに重要なことがあります。食べ物についても同じことです。
すでに、日之本元極が功法の中で説(と)いているように、肉食や動物性のタンパク質というのは、人の身体に適合しないばかりではなく、修練を積んでる人にとっては、必要が無くなってくるという食品です。その食品を身体に取り入れる場合には、肉の波動を身体に適合させて、入れなければならないというような能力の必要性も出てきます。
食べ物が、必要であるかないかということを考えたとき、食べる楽しみを失ってはいけません。現在のテレビ放送各社が煽っているような、食事の欲ばかりを追求することはありません。しかし多くの歴史が示しているように、大勢の者が集まり、同じ物を食べる。語らいをして、心を一つにしていく催しは、必要なことです。人が気持ちを通じ合い、気持ちを一つにしていくためにも必要なことです。
古来「直会(なおらい)」という方法をとって、神と人が話し合い、感じ合ってきたのも道理な訳です。
そうするならば、ものを食べない。という事柄を目的に掲げるのではなく、結果的に食べなくてもすむ。食べずとも生存することは可能であるという考え方を取った方が、より自然です。日之本元極の功法をもってするならば、それらのことが可能であるのです。
「人は、食べずに生きることが可能か?」
という問いに答えるならば、それは十分に可能であると断言出来ます。
不食(食事をしなくて良いこと)は「目的」ではなく「結果」です。
何人かの上級修練者では、もう既に実感していると思いますが、肉体は食べなくても滅びることはありません。「階ふた」以上の方法を実践できる者であるならば、それは天地のエネルギー、地と太陽、月、自然のエネルギーを受け取って、身体に定着することが可能ですから、物理的には何ら食べなくても飲まなくとも、無形のモノで補っていけるのです。
しかし重ねて申し上げますが、食べる楽しみを自ら封印することはありません。
日之本元極 亀仙人 |
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食と気功
緑茶は脳梗塞や心筋梗塞の発生を防ぐか |
中日新聞 070505朝刊に
「緑茶は脳梗塞を防ぐ。一日5杯以上飲むものは、脳梗塞や心筋梗塞の発症が少ない傾向にある。」
という記事がありました。
脳梗塞や心筋梗塞は、血管が老化して起きる循環障害です。
その原因は、血管の問題と動脈硬化を起こしやすい食事の問題とがあります。食事で取り入れられる成分の中でも特に脂肪は、一定量を超えた場合、悪しき原因となります。
緑茶を飲む者達の食生活には、特徴があるのです。緑茶を飲む習慣のある者は、和食が中心で肉食が少ない傾向にあるでしょう。そういう食生活習慣の土壌の上に調査が行われていることも無視できない要素です。
緑茶があたかも効果が、あるというように結論づけるのは早急です。
しかし、緑茶には、ビタミンCやビタミンA、カロチンなど皮膚の抵抗性を保つような物質が、生きた形で保存される特徴があります。ですから、生きた形でビタミンが壊れることなく吸収されやすい形で、身体に取り込まれます。
特に食事の時に取られる飲食物は、身体が取り込みやすい体制を取りますから、食事と一緒に食べる飲み物の成分は効率よく摂取されることになります。
健康飲料という形で、大量の飲料を飲んでも、身体の体制が栄養分を吸収するには、充分でないこともあります。身体が水分を要求しているときには、優先的に水分を取り込みますが、食事の時以外には、吸収の度合いが変化して吸収を効率よくするという形態が取りにくいので、食事の時に摂取する飲み物である事は効果をより上げている一因です。 …
日之本元極 亀仙人 |
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食と気功
頭の良くなる食物の栄養について
「もとつきわみの水と塩」で脳を活性化 |
昨年末に、以下のような新聞記事に目がとまりました。
愛知県特産の八丁味噌を食べると頭が良くなると言うのです。
「八丁みそで頭よくなる」名古屋市大大学院教授らマウス実験
(2007年12月30日中日朝刊)
愛知県岡崎市に伝わり、独自の製法で知られる八丁みそに、脳の学習能力を向上させる効果があることを、名古屋市立大大学院の岡嶋研二教授、原田直明准教授らのグループが、マウスの実験で突き止めた。岡嶋教授は「この地方が戦国時代に三英傑を生み、岡崎出身の徳川家康は天下を治めたのも、八丁みそと関係があるのかもしれない。ぼけ防止の効果も期待できる」と話している。
岡嶋教授らは、5匹ずつのマウスに八丁みそと普通の豆みそ、みそ以外のえさを4週間食べさせた。その後、それぞれのマウスを直径120センチの円形プールの中で泳がせ、直径10センチの丸い台を探して到達するまでの時間を計測。その結果、豆みそと普通のえさを食べたマウスに比べ、八丁みそを食べたマウスの到達スピードは3日目以降急激にアップし続け、目的の台を探し出す学習能力が向上していることが分かった。
脳の学習能力をつかさどる海馬の神経細胞を活性化させるタンパク質「インスリン様成長因子−1」(IGF−1)の濃度をはかると、八丁みそを食べたマウスの方が、豆みそや普通のえさを食べたマウスに比べて1・8倍に増加していることが分かった。
知覚神経が刺激を受けると、神経末端からアミノ酸の複合体「CGRP」が放出され、CGRPが若い細胞に働きかけIGF−1の生成を促進するというメカニズムが分かっている。
豆みそと八丁みその製法は発酵まで同じだが、八丁みそはその後、約2年半、石積みしたたるの中で熟成させる。岡嶋教授は「熟成期間にIGF−1生成を促進させる何らかの成分ができているはずだ」とみて、成分の特定を急いでいる。

八丁味噌をたべたネズミは、学習効果が高いという新聞記事に関連し、食物の栄養素が脳に利用されることについてお話しします。
この新聞に出ている事柄は、一面的には事実です。
食べることで功利的に脳の活性化を図ることが出来るような物質は、この八丁味噌のみならず他にもたくさんあります。
さすがにセンセーショナルなことだと騒いでしまいがちです。
この記事に書かれていることは嘘ではありません。味噌の熟成期間によって波動が細かくなり、タンパク質の一部分が、からだにとって吸収しやすいような波動の細かさに変わるのです。
その結果、身体になじみやすく、ホルモンを刺激しやすい、身体の中に吸収されやすい状態となった結果だと言えます。
このことから言えるのは、からだによい食物は、決してこの一点のモノだけではなく、長い時間を経過した伝統的な食物や調味料には、これらの作用が経験的に認識されていて、それを継続して使用したことによって、日本の文化としての調味料は、からだにとっても脳の活性にとっても有効であったと言えるのです。
しかし一点のみに捕らわれていてはいけません。身体にとって食べ物の中に、身体を活性化して元気にしていく要素は、たくさん含まれています。それを一点に絞って「効果がある」とするのは、たいへんな誤りです。
日本の風土に根ざし、自然で伝統的に生まれたこの土地でできた食物、そしてこの土地の季節の食べ物には、伝統に根ざした結論があります。
風土から生まれた食べ物は、健康のためにも脳の活性化のためにも有効であり、自然に反して有害な添加物や季節感のない食べ物は、からだに悪いと断言出来ましょう。
良いモノの一点のみを見つめて、一つだけをすくい上げて、それで健康になろうというような考え方が根底にはあります。現代では、その発想で医薬品が開発されています。
飛びつくようなビックな話題を作り上げるために、これらのニュースは取り上げられています。間違いではありませんが、気をつけたいところです。自然のモノが、長い期間かけて、発酵醸造されるその間に、物質の波動が細かくなります。そしてそうした波動の細かいものが吸収され易いことは、全てではありませんが、的確だと言えます。
日之本元極で三元エネルギーを添加した「もとつきわみの水」「もとつきわみの塩」には、それらを入れて作った料理や飲料に、上記のような波動の細かさを付加します。この「もとつきわみの水」「もとつきわみの塩」を毎日の生活の中で、使用常用することで健康のみでなく、脳の活性化にも大きな変化をもたらすと云うことです。
日之本元極 亀仙人 |
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食と気功
もとつきわみの塩の使い方 |
通常市販されている塩に比べ「もとつきわみ天日塩」は、膨大なエネルギーが付加されています。そのエネルギーの働きにより、邪気排泄、はらい清め、エネルギーの供給などの力がある訳です。それに加え、この度追加された「もとつきわみ乾燥塩」には、更に火のエネルギーが付加されています。今まで通り、日のエネルギーが付加され、そして、それぞれの作業過程にまで遡って、火のエネルギーが付加されています。この塩は、邪気の排出作用が極めて効果的に、働いています。それは、従来の「もとつきわみ天日塩」の3〜5倍程度の邪気の排出作用があります。また力も強い上にエネルギーの波動が細かく、身体の内部に浸透するような作用が強くなっていますから、邪気の排出も効率よく行われるということになります。
身体の中に入りやすい、浸透しやすい、そして、押し出す力が、大きいということです。塩のエネルギーの持つ波動の細かさは言うに及ばず、その細かさ故に、邪気対策に優れています。この「もとつきわみ乾燥塩」の味としては、塩辛い印象がありますが、邪気排出効果が高まったためのエネルギーの影響です。「もとつきわみ天日塩」の素晴らしい味と比べてしまうと、味が落ちると感じるでしょう。甘み成分、旨味(うまみ)成分ということを活かして調理に使うならば、従来の「もとつきわみ天日塩」の方が「旨味」としてはおいしいと言えるでしょう。
しかし、邪気の排出や邪気を消す効果をねらって調理に使うのであれば、それは、どちらを使っても構わないわけです。たとえば、塩で揉んで苦みを消すなどの調理、野菜の灰汁(あく)を抜くというためにゆでる場合、貝や魚の生臭さを消すために塩で洗うなどの場合、消毒薬の付着が心配される野菜を洗うとき等には、「もとつきわみ乾燥塩」が優れているでしょう。
その他、料理に使う場合のほとんどは、火が使われていない塩=「もとつきわみ天日塩」が適しています。相手の味を引き出すような力があるからです。 梅干しなど漬け物や保存食、味噌汁、やスープの味付け、生のまま味を引き出すために魚に振る塩は今までの「もとつきわみ天日塩」の方がおいしいでしょう。
一般的に調理に使うには、「もとつきわみ天日塩」の方が料理を引き立てます。もちろん、好みにもよるでしょうから、使い方は皆さんが工夫していただければ構いません。
もう一つ、その方の体調によっても、受ける味の印象が違います。味覚と臓腑の働きには関連性があるからです。
また、修練によって「塩」の「塩辛さ」の味覚が変わっていきます。体調が改善すると、或いは体調が増進すると、「刺すような塩辛さ」や「苦み」が、「旨味」に変化します。エネルギーに満ちた「塩の魅力」を味わっていただきたいと思います。
<「もとつきわみ乾燥塩」を使って、場を清める方法>
場を清めるためには、その場に撒くのが効果的です。四隅に置いておくのも効果的ではありますが、一番良いのは、撒く方法です。家の中に気を運ぶ、家の中に邪気を入れない、という意味では、玄関や掃除の出来るところに撒いて使うことが一番良いと思います。そのほかに、「もとつきわみの水」に入れて、溶かして使う方法も有効です。こうすることによって、撒くだけではなくスプレー容器に入れ「もとつきわみの水」と共に室内にも噴霧できます。
塩で洗う方法もあります。洗い流すときに塩を使って洗うのです。
邪気の多いモノを塩で洗う。洗濯の時に、塩を使う。また、身体を洗うときに塩で洗う。そういう方法も有効です。「出毒素風呂」等のところでご紹介しているように、もちろん風呂にいれることも有効です。
また、塩を身につけることも一つの方法です。火のエネルギーが加わった塩ですから、そのエネルギーは莫大なものです。それを常に携帯するようにするのです。紙の袋や紙で包んで身体に着けるだけです。封筒などに入れるだけで構わないのです。
何も形式を整える必要はありません。それを、どんどん身につけて邪気を吸い取って交換していくといいのです。エネルギー補い邪気を取ることに優れています。持つだけで痛み止めにも使えるでしょうし、重症の者の痛みをとるためには、塩で足湯をすることは昔から行われていた方法です。炎症を鎮める、痛みを取る。弱っているところにエネルギーを補充する。痛いところに貼り付けると暖まる。暖まることで、炎症が静まる。そういうことは、充分に効果のあることですし、歴史的に検証されていることです。
しかし塩には、刺激性もありますから粘膜や皮膚の弱いところに直接当てないほうがいいでしょう。全ての場合に、この方法が良いとは限りません。
このエネルギーのある塩は身につけておくことで、効果を現します。けれども、単なる民間療法と同じであるというレベルで考えてもいけません。敏感な方々であれば、この「もとつきわみ乾燥塩」の効果は明らかに分かるでしょうから、場づくり、邪気消し、風呂用には、この「もとつきわみ乾燥塩」の方が優れていると実感して戴けるかと思います
日之本元極 亀仙人 |
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食と気功
海水から造った塩について |
塩には、いろいろ種類があります。海水から造ったもの、その中にもいろいろな製法があります。塩田における天日製塩法、イオン交換膜製塩法、揚げ浜式製塩法等。また岩塩や、海が堰き止められ湖となって、それが干上がって塩湖となり、出来た塩等・・・・。世界で使われている塩の、約40%が海水から造られるもののようです。我々島国に住む日本人の感覚では、ほとんどが海水から造られていると思えてしまいますが、意外です。

そして日本の塩自給率は約15%と、お寒い限りです。
岩塩はどうして出来上がったかと言えば、海であった土地が地殻変動により地中に埋まり海水の塩分が結晶化し地層となったものな訳です。つまり元をただせば塩の全ては海水由来ということです。岩塩の製法は溶解採掘法と、乾式採掘法に分かれ、溶解採掘法は一度水に溶かし、煮詰めて塩を取り出します。この製法は不純物が混じらないので、食用として使えます。他方、乾式採掘は直接掘り出す方法で、ほとんど不純物が混じっていることと、硬いので食用として適しません。
海より造る天日製塩法については、海水を塩田に引き込み、複数の水田を巡回させながら、太陽と風で海水を濃縮していき,中心にある最後の採塩池で自然結晶した塩を収穫します。商品として売るには、収穫されてから1-2年寝かされて水分をとった上で販売されることが多いようです。
岩塩が塩資源として存在せず、平地が狭く雨の多い日本では天日塩の生産にも適していません。そのため、古く奈良時代より濃い塩水(鹹水)をつくり、それを煮詰める、という極めて製造効率の悪い製塩方法が取られていました。よって海外の市販塩との物理的品質差と、価格差が大きかったといえます。
そこで濃い塩水(鹹水)をつくる方法の技術改良というより、製造コストの低減法(奈良時代からの揚浜式製塩法→江戸時代の入浜式製塩法→昭和30年代の流下式製塩法→昭和47年頃から現在まで続く最低の質の塩を造る製塩法=イオン交換膜製塩法)が開発されてきました。イオン交換膜製塩法が何故最低かと言えば、何のエネルギーも存在しないように造り上げているからです。
これら塩の製造由来の中で、何がよいかと問われれば、「海水から造った塩」といえるでしょう。海水から創った塩が優れているわけは、海で生き物が連鎖し、連鎖した生き物が、また新しい生き物を産み出すという、「生物が連鎖して生き物を産み出す力」がその塩の中にも機能してあるからです。その海の中からとった塩は、「生き物」が食べる塩として優れているのです。眼に見えないものの「生命」が溢れているのです。
かたや岩塩や塩湖の塩は、化石のようになる過程の塩であったり、化石のような息絶えてしまった塩の塊なわけです。もちろん食べても問題はありませんし、物質として有効なミネラルも含まれていますので、物質的肉体にとって有効なこともあります。
しかし、どちらかというと海で育まれた生命力にあふれる「塩」に明らかな軍配が上がります。海水からとった塩は、人の身体に一番適した滋養と無形のエネルギーをもたらすのです。
海水は塩分といえばそれまでですし、海水も岩塩も同じ成分だといえば物質的にはその通りです。しかし海水には、目には見えませんが、命を産み出す大いなる生命力のエネルギーが含まれているということを見逃さないようにして下さい。
日本に岩塩が存在しないということは、資源がないと嘆くよりも、寧ろ代々生命力の備わった塩しか食べることが出来ないように神が計られたと考えられるのではないでしょうか。そして前述のように、日本では天日塩の生産にも適しておらず、極めて製造効率の悪い製塩方法で、鹹水をつくり火によって煮詰めて製塩していました。日本では、この限られた環境の中、日のエネルギーに火のパワーを加えるという最高の製塩法をやむなく取っていたのです。
「もとつきわみの塩」は、物理的に言えば、海水を天日によって乾かして造られています。その生命力を持った塩に、修練者の功力と神のお力添えにより莫大なエネルギーを加え、更に最高の場に一定の期間置くことによって、エネルギーの増加と安定が図られています。正に、「塩という媒体に載ったエネルギーの結晶」と言えるでしょう。今回、今までの「もとつきわみ天日塩」に加え、日に火のエネルギーを加えた、「もとつきわみ乾燥塩」をお届けできます。「エネルギーの補給」に、「邪気のはらい清め」に上手な使い方をするようにして下さい。
日之本元極 亀仙人 |
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食と気功
理想的な食事の取り方 |
来る秋分特別講座にて、デトックス(出毒素)ダイエットMDの公開をしますので、このところのこの欄の話が「食」に偏っていますが、大切なことなのでお付き合い下さい。
脂肪を身体に効率よくためるように、身体の組織は優先的に働こうとしています。しかし、活動力が勝る場合には筋肉を、内臓にエネルギーが必要な場合には内臓に、というように、その時のその人の体調を維持するのに相応しいように、身体での配分が決まっています。ですから、脂肪を優先的に貯めようとする働きは、そればかりが優先される訳ではありません。
食事の回数は、現在の生活からすると三回が望ましいということになりますが、これは、一回でも二回でも構わないわけです。生活スタイルによって、その生活を支えていく食事の回数を定めていけばいいのです。それで、全く問題はありません。ただし、空腹感を満たしていく、楽しく食事をすることを考えれば、現在の三回が望ましいでしょうというわけです。
食事の回数を多くすれば多くするほど、その食事の吸収量というのは、少なくなります。回数を少なくすれば、少なくするほど、食事の内容物の吸収量は、多くなります。それは、空腹時間が長いために、身体が食物を待ちかねている状態を創るわけです。
お腹がすいて、身体に、栄養が足りないという知らせが、身体の全細胞に行き渡っているわけですから、エネルギーが欲しいという情報に基づいて、身体に少しでも吸収していこうという信号が隅々まで行き渡ります。ですから、回数を少なくすれば、食べる量も少なくすることが出来るのです。しかし、現代の生活リズム、食生活レベル、文化ということから、考えると今のままの三回を続けていけばよいのです。
人というのは、周りと同じ生活をしているとストレスを感じないけれども、周囲の人達と違う行動を取るということで、ストレスを感じてしまいます。人と違った生活をして、わざわざストレスを創り出す必要はありません。或いは今の生活スタイルを変えるということ自体が、ストレスになってしまいます。ですから、標準的な生活スタイルを保って、その延長線上で、生活を整えることが必要でしょう。
食事の回数を減らすことによって、脂肪に変化が起きるかどうかは、明言が出来ません。それは一度に食べる総量や、その人の運動のレベルによって相違しますから、明言出来ないのです。しかし、吸収しやすいかどうかという点では、回数を多くすれば多くするほど吸収率は悪くなり、少なくすれば少なくするほど吸収が良くなるといえます。
食事のコントロールは、非常に難しいモノです。前述の様に現在での理想的な食事の回数ですが、日常的には三回とするのが適当だと言えましょう。しかし現代の生活の中にあって、朝食の時間は、目覚めてからすぐに食べる事がほとんどです。そうではなくて目覚めてしばらく経ち、ある程度の時間が経過して快適な状態になった時に、すなわち食欲が出てきたときに食べることが良いといえましょう。
現在の時間帯の昼を食べて、夕食を食べた他は何も食べないで空腹な状態にしておいて、次の食事を食べることが最適な状態だと思います。反対にあまり空腹を長くすることも、身体の活動を保証する上でも良くありませんから、適度に身体にエネルギーが満ちていることも大切です。回数が三回と定めるならば、それぞれの食事の時間は、自ずから決まってしまいます。その時間は、空腹を保つ時間ですが、5時間ないし6時間が必要となります。現代の生活形態では、5時間半の空腹時間が一番最適ではないでしょうか。もちろん食事の時間を充分にとってゆっくり食べることや、気分良く食事をすることは、大切なことです。これらのことを無視して、機械的に回数や時間を決めるのではなく、落ち着いて食べれる時間に設定することが肝要なことなのです。
食事については、摂取総カロリーという問題があります。他方、それが人によりどれほどのエネルギーを消費して活動をするのか、朝早くから身体を動かして働く者もいれば、ほとんど動かずに事務的な仕事をしている者もいます。一概に総カロリーの理想を話すことは出来ません。一般的には、軽い事務的な仕事をして運動を余りしない日本人の平均に照らし合わせてみると、朝食、昼食、夕食、間食の分配については、朝 20% 昼 40% 夜40% 程度の割合でよいと思います。それは、個人の嗜好や労働の環境、時間によってシフトする%が、変化しますから、一律に何%というように決めてしまうのは困った傾向です。役人は管理して決めたい意向がありますし、一般市民にはガイドラインを示してもらいたいという自主性の無さも垣間見えます。朝と昼食の時間間隔が短い場合や、昼食と夕食の間隔が短かったり、長すぎたりするときには、その%も違ってきます。 そういう生活のリズムにアクセントを加える為、間食を当てると脳の働きの改善に役立ちます。脳の活動には、エネルギーが必要です。それは心地よい状態を脳に届けるためのエネルギーですから、ほんの少しの補給でよいのです。そしてその効用は、おなかを満たすのではなく、精神面での栄養が与えられるのが、間食の役割だと思います。
長い歴史の中で、人は「一服」という文化を産み出しました。それは、お茶のみならず、菓子、間食、休憩を意味します。文化の中で産み出されたものですが、人の身体の中でちょっとした「エネルギー補給」として大切な意味を持ちます。
朝の負担を軽くすることは、身体の負担を軽くすることにつながります。身体は、まだ目覚めて活動しきれていないのです。朝起きてから食事までの間、身体が目覚める様な活動する機会があるのであれば、充分に食べても可能なわけです。個々の生活によって、食事のエネルギー配分も変化させる必要があるのです。
以上述べてきた様に、食事の取り方によって、総摂取カロリーが同じでも身体につく脂肪量が変わったり、快適な生活が出来たり、出来なかったり、総合的に生活を見直す必要があります。
食事の回数、総摂取量、食事の時間と間隔、運動量等によって、血糖値、血中インシュリン濃度、インシュリン抵抗性、体脂肪率、内臓脂肪と皮下脂肪の比率など大きな違いを生み出します。そうしたことをうまく調和コントロールしてメタボリック症候群にならないよう、また糖尿病などを引き起こさない様にすることが、いつまでも快適な生活を送る秘訣となってきます。
本日(2007.09.02)朝日新聞朝刊記事に次の様な記事がありました。ご参考になさって下さい、そのまま引用させていただきます。
(2007.09.02)朝日新聞朝刊記事の引用。
asahi.com>サイエンス> 記事
糖尿病は万病のもと アルツハイマー発症4.6倍
糖尿病やその「予備群」の人は、そうでない人よりアルツハイマー病になる危険性が4.6倍高いことが、九州大の清原裕教授(環境医学)らの研究でわかった。福岡県久山町の住民約800人を15年間、追跡して分析した。がんや脳梗塞(こうそく)、心臓病も発病しやすいという。糖尿病が、失明などの合併症に加え、様々な病気の温床になることが浮かび、その対策の重要性が改めて示された。
九大は久山町で1961年から住民健診をして、生活習慣や体質と病気の関係を研究。死亡した場合には解剖への協力を求めている。
清原さんらは85年時点で、神経疾患などを研究する米国立衛生研究所の研究機関の基準で認知症ではないと判断した65歳以上の826人を追跡。00年までに集めたデータの解析を進めてきた。
15年間に188人が認知症を発症し、うち93人がアルツハイマー病だった。画像検査のほか、死亡した145人は9割以上を解剖して確定診断をした。
同じ826人について、ブドウ糖の代謝能力である耐糖能の異常も調査。生活習慣が主な原因とされる2型糖尿病の病歴がある▽空腹時血糖が血液0.1リットルあたり115ミリグラム以上――などの人らをアルツハイマー病調査と合わせて分析した。これら糖尿病やその予備群の人は、耐糖能異常のない人に比べて4.6倍、アルツハイマー病になる危険性が高かった。
清原さんによると、脳にたまってアルツハイマー病を引き起こすとされる物質は、インスリン分解酵素によって分解される。耐糖能異常の人はインスリンが少ない場合が多く、分解酵素も減るので、アルツハイマー病の危険性が高まるという。
解剖などによる確定診断に基づいたアルツハイマー病研究で、これほどの規模のものは世界でも例がないという。
また、別に40〜79歳の約2400人を88年から12年間追跡し、糖尿病とがん、脳梗塞などとの関係も調べた。その結果、糖尿病の人は、そうでない人よりがん死亡の危険性が3.1倍高く、脳梗塞も1.9倍、心筋梗塞など虚血性心疾患も2.1倍高かった。
清原さんは「糖尿病対策がアルツハイマー病予防につながる可能性がある。国内ではここ十数年で耐糖能に異常がある人が女性で2割、男性で4割増えており、対策を急ぐ必要がある」と話す。 |
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食と気功
なぜ動物を食べてはいけないのか 2007.7.17up |
よく修練者から出される質問、「なぜ、動物性のタンパク質は制限することが必要で、植物は食べても良いのか?」に答えます。
組成が違うというのが一番の理由です。それは一般に植物というのは、動物の身体に取り入れられて、動物の身体を成長させて、維持することが出来るようにという目的のために生まれてきたものです。動物に食べられて、また次の命を産み出すという性質を持っています。たとえば、植物は動物に食べられて、その種が糞となって広域にばらまかれ、自らの生存域を広げ、子孫の役割を広げていくというような特質を持っているので、その組成は、動物に受け入れられやすいように創られています。植物はそういう食料としての本来の機能を持っているということです。動くことの出来ない植物が、動物に食べられることにより、自分たちの子孫を増やし、広げることを達成しているのです。植物にとって動物に食べられることは、むしろ喜びであると感じています。
肉食は、人の身体を維持することが可能ではあります。しかし、身体を成長させるためのエネルギーとしては不適切である、といえます。動物としての人が動物を食べる行為は、身体を維持させるためには有効ですが、それを食べて子供が成長するのは、有害だということです。それは、成長に相応しいタンパク質ではないという理由からです。動物の恐怖心、動物の生きてきた営みを中断させるようなエネルギーを食肉は持っています。ですから、次から次に生まれ変わって(子供の体内では細胞が次々に生まれ変わっています)成長するような、段階にある子供たちの食べるものではないということです。
命がそこで途絶えた、無念な気持ちがそこにはあります。そういう意識を魂や他の意識も持ち、かつその想念を肉体に残して離れて行っているのです。その思いが全て物質的な栄養の中に含まれていて、人はそれをも全て食べてしまいます。よって、子供にとって動物性のタンパク質は必要ではなく、むしろ有害であると言わなくてはなりません。大人の身体を維持する為には、ある程度食べるのはやむを得ない面はありますが、子供は食べてはいけないのです。
食肉にはそうした想念とは別に、その物の持つ波動という問題もあります。一般的に言うと、大きな動物ほど、寿命が長く、小さい動物ほど、輪廻転生、次から次に生まれ変わる時間が短いという傾向があります。もちろん例外もありますから、一概にはいえませんが、小さい動物ほど早く死んで生まれ変わるというような性質を持っています。そういうふうに、早く生まれ変わり死に変わりして、大きな動物になってくるとどんどん、人間の波動に近づいてきます。長生きをする波動を持つのです。そうすると、長生きをした動物というのは、波動が悪いのです。つまりは、老化現象を感じるわけです。老廃物の蓄積もあります。人の波動は、もし食べようとするならば、とても悪い波動を持っているのです。長生きする動物は、食料として適切ではないのです。
食肉用の肉には、例外はあります。大型化して飼育しているものもありますから、すべて、大きい動物が悪くて、小型の食肉が良いかといえば、そうでもありません。小型のものの寿命が短くて、物理的な面もたくさんあります。大型の動物は、小さな動物を多く食することにより、その中の邪気、有害物質を蓄積していきます。身体の中に、邪気や有害物質をため込まないという意味で、若いもの、新しい者は比較的『良い』わけです。
役割の問題もあります。なるべく長生きして人のために働いた動物の魂は、次の段階で人の潜在意識として使われるわけです。その観点から見れば、食料として育てられたものは、食料として良い波動を持ちますし、そうではなくて、人のために生きること、人の役に立つために、生きる役割を持ったものは、食料としてではなく、生きて働くために良い波動を持ちます。むしろ、食料として食べられるよりも、人の役に立って、身近で働くことに優先順位があります。ですから本来、食料としての役割を持っていない動物は、波動も悪く、その肉体の上に依拠していた意識は役割を全う仕切れなかった思いや、死への恐怖、殺そうとする人に対する反感などを自らの肉体に残して離れて行っています。そうした食料が身体に良いわけは無いのです。
何度も生きて来た、生き変わり死に変わりしてきた意識を持った、そしてより人に近い動物の肉は、基本的に食べてはいけないということです。
日之本元極 亀仙人 |
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食と気功
食事の質と量について 2007.7.5 |
30年ほど前、仕事で取引のあった米国人のマネージャーが、次のように言ったことがありました。
「我々アメリカ人は喰うために働いているが、日本人は働くために喰っている。」
もちろん彼は、当時の日本人の生活を茶化して言ったものですが、この頃の日本人の生き方が悪かったとは思いません。その後の日本は、彼の言うような生活態度に近づくように変遷してきましたが、その道はますます欲望の増大していく無間地獄に堕ちていくようなものです。自らの正しい生き方、働き方をもって、社会、世界、通じては宇宙に少しでも貢献できるよう、喰って生きながらえていく事は、むしろ推奨されるべき事です。
「喰うために生きるのではなく、正しい生き方をするために喰う。」のです。
しかし先進国で飽食の限りを尽くし、もったいなくも食い物の多くを残して捨てている一方、
世界の中では餓死していく人々が少なからずいる現実があります。うまく分け合えば、十分世界中の人々が足りるだけの食料があるにもかかわらずの現状です。
いずれ近々、食料を全世界で融通し合ったとしても足りなくなるときが来るでしょう。正しい生き方をしようにも、喰えずに死んでいく人々が出てきます。そのようなときにも困らない為に、食べる量が減っても生きられる様にしておけば良いのです。元極功法は、それを可能にする功法です。
本来、人は少量の雑穀と野菜で生きられる様に創られています。しかし、文化が芽生え、生活が豊かになってくると、いろいろな物を楽しんで食べる様になってきました。一日何カロリー必要で、何が何グラム、何を何グラム以上取りましょうと、提唱する現代栄養学は、自分たちの欲望を取り繕う言い訳に過ぎません。有形な物だけでエネルギーを取り入れるという風に限定して言えば、正しいと言えるかもしれません。人が、人の能力をきちんと発揮して生活すれば、目に見えない形を取って、エネルギーを体内に取り入れられる訳で、そうすれば有形で取り入れる量を減らすことが出来るのです。
人類は今まで石炭、石油、原子力などの有形なエネルギーを主に使用してきました。一方、太陽電池の様に無形のエネルギーを変換して使用することも可能ではありませんか。それと同じようなことを人体でもやるだけの話です。世界中には多くのエネルギーを体内に取り入れる功法がありますが、食べる量を減らすことの出来るまでのエネルギーを取り入れられる功法は数えるほども存在しません。
日之本元極功法は、12段階の功法の内、「階む」「階ひと」「階ふた」「階み」の4段階を公開していますが、その内の3段階のそれぞれで既に無形のエネルギーの取り入れで食事量を減らすことが出来ます。「階ひと」教科書の「食事について」で、その前段階として現れる『飲食の自然なる取捨選択』について少し述べてあります。功が進めば個人差はありますが、いずれ波動の荒い動物性の食料は取らなくなるか、取れなくなってきます。その後、
「階ひと」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/2
「階ふた」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/3
「階み」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/4
の摂取総カロリー量で食事は足りる様になります。これらのことが起きてきても、食事を無理に減らしたり、精進料理に限定することはありません。食べられるだけを食べられる様に無理なく就餐(しゆうさん)すれば良いのです。総量を調整してバランスよく減らします。偏るべきではありません。あれもこれも食べる必要はありませんが、いろんなものを少しずつ食べると、必要な食品が必要なだけ食べられます。
無理をして、食べる楽しみまで削ることはありません。しかし、すべてを食べ尽くしても、更に増殖し続けようとする現代人の食欲の影で、我々だけでも今後どんな事が起きようとも、きちんと対応できるよう、自らの肉体を進化させておく必要がありそうです。
亀仙人 |
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